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鳩山由紀夫新首相

 党内の長老格で最高顧問の渡部恒三衆院副議長、藤井裕久元蔵相も小沢氏辞任にカジを切る中で、鳩山氏は「小沢さんに一蓮托生(いちれんたくしょう)だと申し上げている。当然、私も辞める」と強調した。こうした鳩山氏の姿勢が、小沢氏辞任後の代表選で、小沢氏の全面支援を受けて岡田克也氏を破ることにつながった。

ただ、政治家歴23年の鳩山氏にとって、政界入りして十数年間は、自民党時代も、同党離党後も小沢氏とは全く疎遠だった。

鳩山氏の衆院当選1回時代、小沢氏は当選7回で、竹下派事務総長、自民党幹事長を務め、キャリアの差は歴然。鳩山氏が対等に話せるような相手ではなかったからだ。それに加え、89年ごろから小沢氏と対立関係に陥る竹下登元首相から鳩山氏がかわいがられたことも影響していた。

 鳩山氏を知る多くの人が、鳩山氏の政治家としての転機となった出来事としてあげるのが96年の旧民主党結成時に、さきがけの武村正義代表の参加を名指しで拒否したことだ。当時、「排除の論理」と言われた。自民党離党以来行動を共にしてきた武村氏は鳩山氏の政治の師と言っていい存在だったが、鳩山氏は周囲の説得にも全く耳を貸さなかった。