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花岡信昭 「原口政権」への第一歩か

 これを小沢氏が万一、飲んでいたら、小沢氏の政治生命はそこでおしまいになっていたのではないか。

 鳩山氏の行動によって、多くのメディアは代表選の告示直前に、「小沢氏不出馬で調整」とミスをおかす羽目になった。


 前首相の調整によって、挙党態勢維持で一致したというのだから、これはそれなりに重視しなくてはならなかったのだ。


 そこに、メディア側の「小沢嫌い」の体質が加わって、不出馬の方向を打ち出したわけだが、一日でひっくり返った。

 菅首相が鳩山提案をいったんは飲んだのだとすれば、なぜ、菅体制発足の時点で挙党態勢が組めなかったのか。


 そこに菅直人という政治家の「政治オンチ」といっては申し訳ないが、限界が透けて見えるような気がする。

 菅体制発足時点での菅首相の心境を斟酌すれば、「鳩山も小沢もこけた。これで自分の天下になった」と思い込んでしまったのではないか。それが「脱小沢」を看板にした布陣につながった。


 ここが政治の恐ろしいところだ。小沢氏も鳩山氏も「政治とカネ」の問題でダブル辞任に追い込まれたのだが、それによって一定の「けじめ」をつけたことにはなる。


 したがって、辞任した瞬間には、両氏の政治力は地に落ちたのかもしれないが、すぐあとに政治展開の新しいステージが待っているのだ。菅首相はそこに気付かなかった。

 「あいた」と「開いた」の違いだけである。産経OBとして、後輩が書いた表現を揶揄することにちょっと躊躇してしまったのだが、指摘された以上は、こちらの真意を明らかにしておかなくてはなるまい。


 言論表現の自由からして、何をどう書こうとかまわない。多様な言論が存在してはじめて民主主義が根付く。


 だが、政治ジャーナリズムである以上、「開(あ)いた口がふさがらない」という情緒的表現は、庶民感覚には迎合するかもしれないが、問答無用、一刀両断のあやうさをはらむ。そう断じてしまっては、そこから先の議論や考察が進まないではないか。


 2カ月余りで復活しようとするのがいけないのか。どれだけたてばいいのか。民主党内で「小沢待望論」に与している議員たちは指弾されるべき対象なのか。


 この局面で小沢氏が出馬することの意味合い、背景、政治力学といったものを解析していってこそ、政治ジャーナリズムの本旨があるのではないか。

 政治家の生殺与奪を握るのは有権者である。決して新聞ではない。そこのところをきちんと見据えておかないと、議会制民主主義が成り立たない。


 むろん、政治家はあらゆる批判の矢面に立たされるわけで、メディアはいかに厳しく批判しようともかまわない。


 だがそれは、有権者に判断材料を提示することが最大の使命であるという感覚に立たないといけない。そこをはき違えると、おかしなことになる。

 そこで代表選の結果はどうなるか。小沢氏が優位に立っているとは思う。


 だが、メディアの「小沢批判」がどう作用するか。そこが読み切れない要素として残る。


 ここから先は政治記者を長くやってきた立場からの直感である。小沢氏はたとえ代表選を制しても首相にはならないような気がする。


 かつて自民党にあった「総総分離」(総理と総裁を別の人物が分担する)の民主党版である。


 「総代分離」とでも呼ぶべきか。代表選挙で圧勝すれば、その可能性も高まることになる。


 その場合、これも乱暴な直感だが、原口一博総務相が最有力と見る。

 政治記者の駆け出し時代の1978年自民党総裁選を思い出している。

 最大派閥の田中派が大平氏を支援、全国でブルドーザー作戦とまでいわれた一大集票活動を展開した。

 小沢氏には、いざとなれば党を割ることも可能だろうし、「大連立」の手法もある。そうしたことが反小沢陣営には強烈な「脅し」として立ちはだかるに違いない。


 菅首相は鳩山氏の調整工作に乗ったことで、党分裂回避が最大の眼目であり、そのためには仙谷氏ら盟友を切ることも辞さないという姿勢を露呈してしまった。


 逆説的になるが、その時点で勝負あったといわなくてはなるまい。

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