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維新の志士育てた長州藩校「明倫館」新築時の姿 絵図発見

 当時は、明倫館が萩城三の丸から城下町のほぼ中央に移り、西日本一の規模を誇る藩校に建て替えられた直後で、その状況が見て取れる。絵図の中央には「明倫館」の文字がはっきりと記され、大きな敷地に築かれた様子も分かる。

 【用語解説】明倫館


 長州藩の5代藩主・毛利吉元が享保4(1719)年、家臣の子弟教育のため萩城三の丸に創建。「孟子」の「皆人倫を明らかにする所以なり」から命名。13代藩主・敬親が、老朽化と人材育成を理由に嘉永2(1849)年、城下町のほぼ中央に移転新築。敷地が約5万平方メートルに拡張され、剣術場や水練池なども備えた西日本一の規模を誇る藩校となった。現在は、跡地に萩市立明倫小学校が建っている。