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【正論】宗教学者・山折哲雄 なぜ「民意」の現場でたたかわぬ

 首相という名の首をすげ替えなければ選挙をたたかえない政治家たちの群れである。口先では、「民意」を問えという。付和雷同して、「草の根の民主主義!」と叫んでいる。ならばなぜ、その「民意」の現場でひとりたたかおうとしないのか。その「草の根」の現場で、首や看板などをあてにせず、たたかおうとしないのか。

 新聞を読んでいても、テレビを見ていても、それに答えてくれるような場面に出くわすことはほとんどなかった。そんな落胆の淵(ふち)にさ迷いこんでいるときだった。ある新聞の片隅にのっている面白い記事に気がついた。昨年のことだったが、小沢一郎民主党幹事長にまつわる政治とカネの問題が紛糾し、元秘書氏が逮捕されるということがあった。そのとき小沢陣営の支持者の誰かが、その獄中の被疑者のもとに山本周五郎の長編小説『樅ノ木は残った』を差し入れたのだという。私ははじめ、これは例によってガセネタにちがいないと疑ったのだが、やがてなるほどと納得したのである。

 つまり腹黒い悪人というわけだった。だが、じつはそうではなかった。悪人の相は原田のオモテの顔にすぎず、本当の顔は、ひそかに藩の危機を救うため、みずから凶刃に伏した忠誠のさむらい、それが作家、山本周五郎の見立てであった。その一冊を、顔のみえない政治家の誰かが、獄中にいる政治家の被疑者にひそかに贈ったのだという。私は、このうさんくさい新聞ゴシップのなかに、一片の「民意」らしいものの影を感じて、楽しい妄想をふくらませることができたのだった。

 そのニュースにふれて私が思いおこしたのが、今からおよそ110年前、インドのガンジーがこの南アの地でしたたかに体験させられた屈辱の物語だった。英国で弁護士資格をとり、意気揚々とこの地にのりこんできた若きガンジーの姿を想像してほしい。だが胸を張って白人専用の列車にのりこんだ彼は、たちまち引きずりおろされ、黒人たちの三等列車に押しこまれてしまったのである。


 このときの事件を機に、ガンジーは英国で身につけた一切の肩書と資格を脱ぎ捨てて立ち上がる。アパルトヘイト(人種隔離)政策にたいする非暴力闘争が誕生したのだった。このガンジーのたたかいの方式は、祖国インドにおける独立運動へと受けつがれ、戦後になって、こんどはアメリカの公民権運動の指導理念となって息を吹き返す。マーチン・ルーサー・キング牧師の登場をみたのである。

 このガンジー、キングをへて手渡された「非暴力」という松明の火を、その思想的なふるさとともいうべき南アフリカの地でふたたび高く掲げたのが、ほかならぬネルソン・マンデラ元大統領だった。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20100106#1262736253
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20100618#1276817943
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20100615#1276573597