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“戦力にならない”若手社員はなぜ増えた? 成熟経済下の日本に求められる「新しい教育」の姿 ――東京大学 本田由紀教授インタビュー|識者が語る 日本のアジェンダ|ダイヤモンド・オンライン

 90年代以降、世界的に経済構造が変化し、日本経済は短い回復期はあったものの、基本的には20年近くゼロ成長やマイナス成長が続く厳しい状況下にある。その背景には、それ以前の日本社会がキャッチアップ型モデルで経済成長をしてきたために、新しい需要の創出やイノベーションを起こす企業の力に弱点を抱えており、それ以後の変化に対応しきれなくなって苦渋を舐めているという側面がある。そうしたなかで、若者に対する要求水準だけが、一定の経済成長が達成されていた時代よりもずっと高まっている。


 しかし企業側は、一部で成果主義などを導入してきたたとはいえ、“過去の体質”を引きずったままだ。企業自身が構造的な変革を行わないにもかかわらず、若者にはスーパーマンのように万能な力を期待するという“無い物ねだり”的な発想が、現在の「若手社員への過剰な期待」と「能力不足への指摘」につながっているのではないだろうか。

 ご存知のとおり、「生きる力」や「人間力」の養成を求めるゆとり教育に対して、90年代末に学力低下を憂うる声が上がった。そうしたなかで、新学習指導要領が出され、結局のところ従来型の知識重視の教育と、人間力の形成の両方が必要だといわれているが、もはや仕事の世界は「学力」か「生きる力」という二項対立で対応できる状況ではない。

 私が提唱しているのは、「柔軟な専門性」という、一定の専門性の輪郭を持った能力や知識、技能だ。これは、具体的に教えることも、身につけたことを確認・評価することもできる。

 ただ、経済の流動性や技術革新が目まぐるしいなかで、専門性が硬直的になりすぎてしまうと、雇う側も雇われる側も自分の首を絞めることになりかねない。そこで、ベースはしっかりあるが、それを生かす形で膨らみと発展可能性のある専門性を身につけておくべきだろう。また、企業側にも多様な専門性を活かす人事を行うことが求められる。

 日本は“三過ぎ社会”と呼ばれることもあるように、ライフコースが主に3つの時期に区切られ、硬直的だ。つまり、若いうちは勉強ばかりで外の社会を知らない。壮年期は仕事のし過ぎで、地域社会や家庭生活に力を割けない。そして老年期になったら、何もやることがない暇すぎる生活になる。


 欧米では、大学生の年齢分布に幅があり、社会人学生が普通なのに対して、日本では18〜22歳に集中していることも特徴的だ。欧米のように様々な経験や見方を持つ多様性と異質性に富んだ人々が教育機関の中にうごめいていれば、学校は活性化されるはずなのに、同じような年代の同質性の高い人たちばかりでは活力を削いでしまうことになるだろう。

 いまは正規・非正規間で「ジョブ」と「メンバーシップ」のバランスが両極端になり、どちらも過酷な状況になっている。日本の正社員は、ジョブの輪郭はなく混沌としているのに対し、組織へのメンバーシップは非常に強固である。非正社員は、雇用の安定性は非常にもろいが、ジョブやタスクの輪郭については明確だ。


 そこで企業に求められるのが、「ジョブ」と「メンバーシップ」のバランスのとれた適正な働き方の提供だ。