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われわれは再び教育ある人間とは何であるか 見直す必要に迫られている|3分間ドラッカー 「経営学の巨人」の名言・至言|ダイヤモンド・オンライン

 ドラッカーは、学校に対して、二つの要求を行なう。


 第一に、肉体ではなく知識が中心の社会となったからには、知識の変化が急である。繰り返し、知識の更新を図っていかなければ、急速に時代遅れとなる。


 しかし、いかなる学校といえども、必要とされるすべての知識を与えることは不可能である。そこで必要となるのが、“学習の方法”を教えることである。方法論、自己啓発、ハウツーを馬鹿にしてはならない。近代合理主義は、デカルトの『方法序説』から始まった。


 第二に、知識が中心の社会では、知識ある者がリーダーの役を務める。ということは、知性と、価値観と、“道徳観”が要求されるということである。

 今日、道徳教育は人気がない。ドラッカーによれば、これまで、あまりにしばしば、思考や、言論や、反対を抑圧するために濫用され、権威への盲従を教えるために使われてきたせいだという。


 つまり、道徳教育自体が、非道徳的だった。

しかし、教育が道徳を伴い、かつ、それを重視すべきものでなければならないことだけは間違いない。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20110327#1301236717