2012-07-11 ■ 政治 歴史 政治 歴史 「小沢新党」(「国民の生活が第一」)が動き出した。 頼朝が、義経討伐を決意したのは、平家との死闘を経て「政権奪取」後に、義経が京都の朝廷勢力に取り込まれたと見たからであった。今回も、官僚に取り込まれ、政権交代を台無しにしてしまった民主党内の反小沢、反鳩山一派と決別し、彼等を打倒することが、小沢一郎の離党、新党立ち上げが大きな歴史的目的だったのである。