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応じて勝つ 名人、防衛まであと1つ 囲碁名人戦第5局

山下名人の封じ手白64は、検討陣の予想になかった「4の十」のコスミ。

 囲碁名人戦第5局の対局室「偲豊庵(しほうあん)」は1995年の阪神大震災からの復興への願いを込め、96年に完成した。完成400年前の1596年には慶長伏見の大地震があり、有馬温泉は大きな被害を受けた。その復興に努めたのが有馬を愛した豊臣秀吉である。偲豊庵は豊臣秀吉を偲(しの)ぶという思いから名付けられた。囲碁名人戦では97年の第22期の第4局で初めて使われ、この時は趙治勲名人が挑戦者の小林光一九段に勝った。偲豊庵は旅館「御所坊」の離れにあり、対局室となっている和室のそばには五つの甕(かめ)を地中に埋めた水琴窟(すいきんくつ)がある。さらにその横には湯殿があり、入浴する人が水琴窟の音色を楽しめる。マイクロソフト創業者のビル・ゲイツ氏はこの水琴窟の評判を聞き、設計図が欲しいと考案者に依頼してきたという。

 正午から昼食休憩に入った。山下名人は今日も昼食はとらない。羽根挑戦者のメニューは「秋の訪れ」を表現したという。きつねうどん(温卵入り)、のり巻き、炊き合わせ(しのだ巻き、明石のタコなど)、天ぷら盛り合わせ(朝鮮ニンジン、ハモ、エリンギなど)。デザートはリンゴと柿。彩りもボリュームも豊かな内容だ。

 有馬温泉は、ほぼ400年ごとに地震の影響を受け、そのたびに復興してきた。その歴史の中で3人の「恩人」が登場した。まず奈良時代の僧・行基(ぎょうき)。701年の丹波地震の後、民衆のために多くの土木工事を手がけた行基は「有馬の湯が埋まっている」という薬師如来のお告げを受け、724年、有馬に温泉寺を建立したという言い伝えがある。


 次が鎌倉時代の僧・仁西(にんさい)。壇の浦の戦いで平家が滅亡した1185年、京都などで大地震が起きた。仁西は地震の影響で荒廃していた有馬温泉を復興し、薬師如来十二神将にちなんで12の宿坊を建てたといわれている。


 3人目が豊臣秀吉。1596年の慶長伏見の大地震で甚大な被害を受けた有馬温泉を大規模な改修工事で再興した。


 それから約400年後に起きたのが1995年の阪神大震災。観光客が激減したが、宿泊客だけでなく日帰り客にも温泉と食事を楽しんでもらうサービスのほか、歴史を生かした町づくりなどを進め、活気を取り戻した。

 午後5時50分、山下名人が140手までで白番中押し勝ちし、対戦成績を3勝2敗として初防衛まで1勝と迫った。

封じ手の封筒
石の碁盤

NHK BSプレミアム 968

数ヶ月見てないうちにまんいも可愛くなってるじゃん

万妹久々に見たけど可愛いな。