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政治的存在としてのローマ教皇にまつわる話 - 仲宗根 雅則

宗教的存在としてのローマ教皇は、あえて分りやすく言えば、日本における天皇と同じである。多くの日本人にとって天皇が常に崇高な存在であるように、多くのカトリック信者にとっては教皇は、モラル上のほぼ絶対的な存在である。


そうした信者にとっては、カトリックの司祭である枢機卿バチカンに集合して、教皇選出の秘密選挙を行なうコンクラーヴェでさえ、神聖崇高な宗教儀式として捉えられる。選挙が外部との接触を完全に絶った密室で行なわれ、いきさつも駆け引きも正式には知りえない、ミステリアスな設定の中で決行されることが、無邪気な信者の目を曇らせるのである。だがコンクラーヴェは、清濁の思惑、特に濁の魂胆が激しく錯綜する、極めて世俗的な政治ショーの側面も持つ。

予想外のベルゴリオ枢機卿が、これまた予想外の短時間で選出された裏には、CURIA(クーリア)の暗躍があったに違いない、と多くのバチカンウオッチャーが考えた。クーリアとはバチカン内で教皇を補佐して、カトリック教会のあらゆる管理行政を行なう強大な政治機構である。政教ががんじがらめに絡み合うバチカン市国の、いわば内閣とも形容できる中心組織。世界各国から集まった聖職者がそのメンバーだが、当然バチカンを抱くイタリアの聖職者が大勢を占める。イタリア人を中心とするクーリアのメンバーは、教皇選出に際しても強い影響力を持っていて、コンクラーヴェの度にその動静が注目を集める。


クーリアはバチカンのいわば保守本流であり、その基本姿勢は極めて明確なものである。組織は教会の改革に立ちはだかり、伝統を守ろうとする。それは、教会の既得権益を死守しようとする行動であり、世界中のあらゆる組織や機構や政治団体が指向するものと微塵も違わない。

クーリアは改革推進勢力と直接間接に次のように妥協をして選挙を牛耳ったと考えられる:
先ず選ばれるべき新教皇は政治的スタンスが退位したベネディクト16世に近く、伝統的保守派であること。事実、そのことを裏付けるように、新教皇は選挙終了直後から、ベネディクト16世路線の継承を示唆する言動をしている。一方でクーリアは改革派の顔も立てた。史上初の南米出身の教皇を選出することで、バチカンの小さくはない歴史的変革の第一歩を印象付けたのである。


また一連の画策によってクーリアは、世界政治のスパーパワーである米国の出身者をしりぞけ、アジア・アフリカ出自の教皇の誕生にも待ったをかけた。それでいながらクーリアは、そこの部分でも又したたかに益を取ることを忘れなかった。つまり、新教皇は確かに史上初の非ヨーロッパ人だが、彼はヨーロッパ移民の、しかも「イタリア人」移民の子孫なのである。クーリアの中核を成すイタリア人聖職者たちが、ほっと胸を撫で下ろす様子が見えるようである。

そうした不安に加えて新教皇には、母国のアルゼンチンに於いて、汚い戦争と呼ばれた1970〜80年代の軍事政権下で、独裁者に味方をしたのではないか、という極めて重い批判も向けられている。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20130314#1363275441
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20130301#1362148440