『この国を思う』
P37
社会学界の泰斗ソローキン教授が指摘しております。
「一人の人間を強烈に愛することも出来ないくせに、ちょっと見たところ全人類を愛するふうをする多くの人々がある。彼らの人類愛は非利他的な、無関心に殆んど近い程稀薄なものであり、骨も折れず、且つ実践され得ないものである。熱もなく、冷もなく、彼らは自己主義者と低級な利他主義者との境界線を占めている。」
「人間は自分がその一員であるところの集団に対して進んで自己を捧げようとする忠誠心 Loyality が本能的基礎をもっていることを認め、今日では出来ることなら民族国家の国境を超越する新しい忠誠を生み出すことが最大の重要事であるが、そういうことが果たしてどれほど出来るであろうか。共産主義者は無理な方法である程度強制し得たが、それは非共産主義者が許すものでない。もっと外の方法に依らねばならぬ。それにはまず第一に各国の指導的立場の人々、次いで民衆が、長い再教育の過程を経ねばならない。しかしこういうことが起こるのはまだまだ前途遼遠である。キリストが汝己のごとく汝の隣人を愛せよといってからすでに一九〇〇年余になる。いったい今後なおどれだけ多くの歳月を経たならば、人々はこの言葉こそ確かな助言だったと考え始めるであろうか。」
一片の感傷や観念や、遊戯にすぎぬ気分的空想的人道主義はだめであります。今日の現実はそれに対して甚だしく冷厳であり、苛酷であります。まず自国、自郷、自家から愛することが出来ねばなりません。
つまらない人間も「世界のため、人類のため」などと言います。あれは寝言と変わらない。寝言よりももっと悪い。なにも内容がない。自分自身のためにも、親兄弟のためにも、ろくなことができない人間が、どうして世界のために、人類のために、なんて大口きけるか。
安岡先生の解説がちょっと違っている。
「人間みずから大光明を放つことなど、どうしてなかなか出来るものではない。」から「一隅を照らす」のではない。
大光明を放つことができる人ほどこのように考えている。
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20110327#1301236717(一灯照隅、万灯照国。)