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甘い生活。: 愛と革命の詩、を聴かせておくれ

 『愛と革命の詩』の時代背景のおもしろさは、ベルばら(オスカル編)のように貴族=悪、市民=正義ではなく、かといってスカピンのように革命政府=悪、貴族=正義(というと語弊があるけど)でもなく、その「正義」と「悪」の中身が短いスパンで入れ替わっていくことなんですよね。物語のはじめは革命こそ正義だったのが、革命政府の行き過ぎた粛清と圧政によって、「正義」の定義がわからなくなってくる。白い天使の片翼が黒く、黒い天使のそれが白いように、単純に白黒で分けることができない世界。善悪のはざまで罪を着せられて死んでゆく人々、その時その時の権力に媚びながら生きる芸術家、翻弄されておびえる市民たち、世の中を皮肉る道化師。
 アンドレア・シェニエはその動乱の世界にあって、一貫して「自由主義」を唱えた人物であり、貴族にも革命政府にも媚びることなく、自分の信じる「自由」を詩で表現しつづけた人物なのです
 ぶっちゃけ、その思想がとても分かりづらい!!!

 それに対して、時代の「悪」と「正義」のあいだで揺れ動くみりお様のジェラール役はとてもドラマティックかつ分かりやすい。正しいと思って参加した革命がほんとうに正しいのか、自分が求めた世界は本当にこれだったのか、という苦悩は観客からみてすごく理解しやすい(笑)。自分たちの起こした革命が愛する人を死に追いやってしまう…というのも切ないし。あと、まあ、スカピンのときにさんざん書きましたが私は革命厨なので(笑)この手の人物に感情移入しがち(←個人的事情。)
 なのでどうしてもこっちの視点がジェラール寄りになってしまって、作品最大の山場は裁判の場面のみりおさまVSみーちゃん、に見えるのです。ここのみーちゃんがまた超絶カッコよくてですね…(しみじみ)。みりお様も美しくて、ふたりの二重唱すばらしかったなあ。

 この場面でシェニエさんが何もしてない!っていうのが、『愛と革命の詩』の最大のアカンポイントではないかと思います。場面に(しかもセンターに)いるんだけど、いるだけなんだよね。本来ならたぶんシェニエさんが言うべきことを、ジェラールさんが言ってくれちゃってるんだよね^^^^
 イケコならここでシェニエさんが「ひとかけらの勇気」を歌って民衆が一気にシェニエ側に傾くんだろうし、キムシンならここでシェニエさんとマッダレーナと仲間たちが「心から心へ」を歌って客席を感動の渦に叩き込むんだと思うのですが(いろいろ混ざってるよ!)、そこまでベッタベタにできないのが景子せんせいの大劇場向きじゃないところかなあ。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20130618#1371558242(善悪の狭間を自在に泳ぎきる小兵衛)


http://d.hatena.ne.jp/d1021/20130817#1376735899