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【正論】いま伝えたい昭憲皇太后の祈り 比較文化史家 東京大学名誉教授・平川祐弘 - MSN産経ニュース

昭憲皇太后御集』

 《とこしへに民やすかれといのるなるわがよをまもれ伊勢のおほかみ》

 《わが國は神のすゑなり神祭る昔の手ぶり忘るなよゆめ》


 この歌は明治天皇の御子孫や国民への御訓戒と拝察する。

 若き日の皇后は西洋の新知識に憧れた。明治22年、宮中に電燈がともる。


 《いなづまの光をかりしともしびによるもさやけき宮のうちかな》


 稲妻への言及はフランクリンが凧(たこ)を用いて稲妻と電気の同一性を証明した実験をご存じだったからだろう。聡明な美子皇后がフランクリンの十二徳をよみかえると、プロテスタントの徳目は次の教訓歌となる。


 《みがかずば玉の光はいでざらむ人のこころもかくこそあるらし》


 明治8年女子に高等教育の門が開かれたとき、皇后は開校式に臨まれ、先の歌に手を入れ「東京女子師範学校にくだしたまふ」た。


 《みがかずば玉も鏡も何かせむまなびの道もかくこそありけれ》


 今その後身のお茶の水女子大学の校歌で、付属小学校の秋篠宮のお子様もご一緒に歌っている。歌はさらに『金剛石もみがかずば』となる。「金剛石もみがかずば 珠のひかりはそはざらむ 人もまなびてのちにこそ まことの徳はあらはるれ」


 ≪津々浦々で歌われた唱歌に≫


 そしてフランクリンの「時間を空費するなかれ。つねに何か益あることに従うべし」(Lose notime; be always employ’d insomething useful)の教えは「時計のはりのたえまなく めぐるがごとく時のまの 日かげをしみてはげみなば いかなるわざかならざらむ」と訳されて津々浦々で歌われた。小学生の私もその唱歌を歌った。

 明治天皇、皇后が第一に心掛けられたのは何か。日露戦争の翌年、天皇は詠まれた。


 《かみかぜの伊勢の宮居を拝みての後こそきかめ朝まつりごと》


 天皇家にとって「まつりごと」とは「祭事(まつりごと)」が第一であり、天皇は国民にとってまず神道の大祭司(プリースト)である。それだから「伊勢の宮居を拝みて」の後に「まつりごと」の第二である「政事(まつりごと)」の仕事に国王(キング)として耳を傾けるのである。


 ≪真心を神前に手向ける≫


 では神道の倫理とは何か。それは罪の文化でも恥の文化でもない。人に知られようが知られまいが恥ずべき事をしてはお天道様やご先祖様に相済まぬ、という内面の倫理である。神道は心の清らかさを尊ぶ。皇后はこう歌われた。


 《人しれず思ふこころのよしあしも照し分くらむ天地のかみ》


 《まごころをぬさと手向(たむ)けて神がきにいのるは國のさかえなりけり》


 幣帛(へいはく)として真心を神前に手向けると皇后は述べた。その社頭に霰(あられ)が散る。


 《ささげもつ玉串の葉にたばしりてあられふるなり賀茂の瑞垣(みずがき)》

 昭憲皇太后も祈られたように、そして美智子皇后もいわれるように、皇室の大切なお勤めは民のために祈ることである。思うに宮中祭祀(さいし)はただ単に天皇家の為の儀式ではない。陛下は国民のために祈るのである。

「心だに 誠の道に かなひなば 祈らずとても 神や守らん」(菅原道真

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