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コラム:破綻した経済政策に今こそ決別を=カレツキー氏 | Reuters

経済学者は、実社会の政治や経済、金融を私たちが理解するのに役立つ何かを提供できるだろうか。私はこの問いを、先週末にトロントで開かれた新経済思考研究所(INET)の年次会議で投げ掛けた。


INETは2009年、世界金融危機に際して近代経済学が機能しなかったことを受けて設立され、私もその委員会で現在議長を務めている。


エリザベス英女王が2008年11月、「(経済崩壊を)なぜ誰も予測できなかったのか」と尋ね、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)の学長を驚かせたことは有名だが、あいにく先の質問も同じぐらい厄介なものだ。


経済学者ジョン・メイナード・ケインズは1936年、世界大恐慌を悪化させていた正統派経済学に異議を唱え、こう述べた。「経済学者の考えは、それが正しくても間違いであっても、一般的に理解されるよりも強力だ。実際、それ以外に世界を支配するものはない。自分が知識の影響力を受けていないと考えている実務家も、大抵は破綻した経済学者の奴隷なのだ」。


この見解は1936年当時と同じぐらい、現在も当てはまる。ノーベル賞学者のジョセフ・E・スティグリッツ氏は、トロントの会議で「中央銀行や政府が今なお、明らかに不合理な経済モデルで政策効果を予測しようとするのはなぜか」と問い掛けた。


同氏の答えによると、大学で学んだり一流学術誌に出版されたりする経済モデルは今も、「全ての人が同一の性質を持つ」と仮定する「代表的個人」という考え方に基づくことが多いのだという。つまり、こうしたモデルは金銭の賃借に触れず、銀行の存在を無視し、企業倒産も重要視しない。なぜなら、「借り手が返済しなければ、その人が破産するだけ」と考えるからだ。

ハーバード大の哲学者、マイケル・サンデル教授はINETの会議でこう語った。「過去30─40年にわたり、われわれの社会における公共生活は、市場メカニズムがあらゆる問題の解を出し、すべてを解決するという確信によって活気付いてきた。こうした市場への揺るぎない信頼の時代は、政治から道徳観や公共心がなくなったのと時を同じくする。市場は、商品や収入を中立的に配分する方法を提供するように思えるが、多くの場合、私たちは道徳的判断を下さなくてはならない。今求められる新たな経済思考には、古い経済思考と多くの類似点がある。アダム・スミスにまでさかのぼる古典派学者らは、経済学を道徳的に中立的な科学であるとか、自主的な規範であるとさえみなしていなかった。彼らはすべて、経済学が道徳や政治哲学の副次分野であると理解していた」。


言い換えると、経済学は常に特定の政治的背景の中で意味を持つ。市場メカニズムは、社会的な成果によって善しあしが判断される必要があり、政府や企業は対立するのではなく、協調しなければならない。2008年に起きた危機を経てグローバル資本主義の新たな段階が現れつつあるなか、これらは経済学者らが発見あるいは再発見すべき鍵となるアイデアではないだろうか。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20140421#1398076579
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20131114#1384425489
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20090218#1234929452