新聞の場合、昔はページ・ワン・エディターと呼ばれる人が居て、第一面における記事の配置を、その記事の重要性に応じて、ああでもない、こうでもないと考えたものです。
どの記事をどれだけ大きく扱うか……その判断ひとつに、その新聞社の見識が込められていたわけです。
ところが今はウェブが主流なので、ニュースは右から左にどんどん流されるようになり、翌日の朝刊に間に合う締切の時間という概念の重要性は大幅に低下しました。
ニュースの重要性は、ネット上でそれが繰り返し話題にされているか? つまりpersistenceによって決まります。
記事のアンバンドリング化(unbundling)
すると例えばニューヨーク・タイムズは、紙面全体の総合力で競争するのではなく、バラバラにされた、個々の記事で競争しなければいけなくなります。
それまで新聞社のエディターによって行われてきた品質管理された記事が、ブロガーの書いた全く品質管理されてない記事(もちろん僕の記事もそのひとつです)とごっちゃに消費されることで、玉石混交の様相を呈するわけです。
ニュースでも証券会社のリサーチレポートでも同じですけれど、そこに書かれていることも大事かも知れませんが、何がオミットされたか? ということも、おなじくらい重要なのです。
記事としてアウトプットされる情報は氷山の一角に過ぎず、残りの90%は無駄骨です。その表に出ない努力をするかどうかが、あたなが発信者になれるか、それとも永遠にニュースを受ける側で、そのニュースにチョッとツッコミを入れるだけで、あたかも自分が偉くなったような、安っぽい自己満足の立場に甘んじるかを決めるのだと思います。