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経済学者の宇沢弘文さん 死去 NHKニュース

宇沢さんは鳥取県の出身で、東京大学理学部数学科を卒業後、経済学の研究を始め、アメリカに渡りシカゴ大学の教授などを歴任しました。
経済成長や消費者の行動を数学的な方法で分析する数理経済学の研究を進め、安定した経済成長のための必要な条件を、「消費」と「投資」の2つに分けて示した「2部門経済成長モデル」で注目を集めました。
昭和44年に東京大学の教授に就任したあとは公害問題などにも取り組み、自動車による交通事故や大気汚染などの影響を経済学的な視点で分析して、対策に必要な費用を利用者も負担して問題の解決につなげるべきだと指摘しました。
水俣病にも目を向け、自然環境や教育、医療など文化的で豊かな生活をするうえで欠かすことのできないものを「社会的共通資本」と位置づけ、効率や経済利潤から守るべきだと提唱しました。
その後、成田空港問題の平和的な解決に尽力したほか、地球温暖化の問題では、二酸化炭素を排出する企業などにコストを負担させる「炭素税」を導入するよう求めるなど社会的な提言を続けました。
こうした功績で平成9年に文化勲章を受章し、平成21年には環境問題の解決に尽くした研究者などに贈られる「ブループラネット賞」を受賞しました。
宇沢さんは3年前に体調を崩し、自宅で療養を続けていたということです。

宇沢さんの教え子で学習院大学経済学部の宮川努教授は「研究熱心な方で、授業のあとは毎回、われわれ学生と一緒に夕食を食べながら経済学のさまざまな話を聞かせてくださいました。一般的に『経済学』と呼ばれている学問の基礎を作ってきた研究者の1人で、その功績は計り知れません。経済発展によって人々の暮らしを豊かにするための研究だけでなく、公害問題など、経済発展がもたらす負の側面にもしっかりと目を向けてその解決に努力され、社会的な影響は非常に大きい」と話しています。

経済学者の宇沢弘文氏が死去 - MSN産経ニュース

 昭和26年に東大理学部数学科を卒業後、経済学の研究を始め、31年に渡米、米スタンフォード大の経済学部の准教授、シカゴ大教授を歴任した。帰国後の昭和44年から東大経済学部教授となり、55〜57年には学部長を務めた。


 元々の専門だった数学を生かした数理経済学の分野で数多くの実績を上げたほか、経済成長モデルに関する理論を発展させ、後進の経済学者に大きな影響を与えた。58年に文化功労者、平成9年に文化勲章受章を授与され、一時はノーベル経済学賞の可能性もとりだたされた。


 後年は、成長優先の政策を批判する立場に転換。地球温暖化をはじめとする環境保全の立場から発言を続けた。主要著書は、「近代経済学の転換」「自動車の社会的費用」など。