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なぜ今、「天皇主権説」再考なのか?・その5(完) (連載「パックス・ジャポニカへの道) - 原田武夫国際戦略情報研究所公式ブログ

上杉愼吉が語った憲法論が最終的に思い描いた国家イメージこそ、その時、想い出されるべきものなのである。至高の賢者が構成員の全てと「気持ち」でつながり、それを忖度しながら前に進んでいく。それを支えるのが高度に専門的な知見を兼ね備えた本当の意味での「官僚制」であり、意思決定システムが明瞭な分だけ迅速に、しかしその最高統治者は絶えざる自己研鑽を通じて「全体意思」との同一を自己規律として課し、かつオール・ジャパンとしてベストの知見がそこ出の判断基準となる。


そう、我が国において怖れることなく議論されるべきは全く新しいこの意味での「天皇親政」の可否なのである。上杉愼吉はその天皇主権説をもってその必要性を彼の時代に説き、結果として弾圧された。しかしその結果残された明治憲法下の成れの果ての体制は勝てる見込みの無い日中戦争、そして日米戦争への突入を止めることは出来ず、ついには灰燼へと帰したのである。「大正デモクラシー」や「天皇機関説」がその淵源であったことは間違いなく、これらに戻ることはもはやできない。だが今や、その抜本的な是正策として移植されたはずの「アメリカン・デモクラシー」という意味での議会制民主主義も無効であることが明らかになったというわけなのである。したがってこれから私たち日本人が辿るべき道はただ一つ、あらゆる苦難の歴史の中にあっても残ってきた「天皇制」の本旨に立ち返りつつ、それをベースに他の誰にも指示されることなく、この頭、そしてこの身体、さらには我が「魂」をもって全く新しい体制を築き上げることなのである。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20141017#1413542235
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http://d.hatena.ne.jp/d1021/20141010#1412938078


上杉慎吉 - Wikipedia

教え子の岸信介(木曜会・興国同志会会員)と安岡正篤に大学で自らの講座の後継者として残るようにすすめたが、両者は官界に進んだ。

天皇機関説 - Wikipedia

昭和天皇自身は機関説には賛成で、美濃部の排撃で学問の自由が侵害されることを憂いていた。

安岡先生も「天皇機関説でいい」と仰っていた。
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