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松本正夫 - 哲学者=山崎行太郎のブログ『毒蛇山荘日記』

僕は、「存在論」という言葉もハイデガーという哲学者についても、松本正夫という中世哲学学者から学んだ。学生時代。当時は、何も理解できなかった。だが、最近、わかってきた。「がある存在」と「である存在」の差異。

僕の「イデオロギーから存在論へ」というテーゼは、松本正夫の受け売りだ。つまり、「である存在」から「がある存在」へ、ということだ。

松本正夫

父方祖父は鉄道建設に貢献した官僚・土木技術者の松本荘一郎(同墓)、母方祖父は銀行家・慶応義塾長を務めた小泉信吉(3-1-17-3)。 父は商法学者・政治家の松本烝治(同墓)、母は千の長男として生まれる。伯父に小泉信三(3-1-17-3)。姉の峰は法学者の田中耕太郎の妻。

1938(S13)カトリック信者となり、スコラ哲学を基礎に独自の存在論、認識論の体系を構築。 またアリストテレス哲学に沿った客観主義的実在論を基本的立場として研究をすすめる。

松本正夫先生の哲学 - 中世哲学会

当時の日本の哲学界には, 三つの傾向があった. 一つは, マルクスの唯物弁証法にもとづく人々であって, 急速に勢力を拡大していた. 一つは, 実存哲学の系統に属する人々である. もう一つは, 主義主張に関わりなく, 哲学の古典を地道に研究してゆこうとする人々であった.

ではこれら三つの傾向に対して, 松本先生はどのような位置を占めておられたであろうか. 先生は生まれつき体系家であって歴史家ではなかった. また或る哲学者の著作をコツコツと丹念に研究してゆくという型の学者でもなかった. 哲学の問題を全体として把えてそれを白分の論理によって解釈し, 体系的に構成してゆくという型の学者であった.

先生は, 唯物論者とは根本的に異なっていた. そのちがいは, これは一見して明瞭なことであるが, 唯物論者たちがおしなべて無宗教であったのに対し, 先生はキリスト者であり, それも敬虔なカトリックであられたことである. しかしそのちがいを, 哲学に即していえば, 唯物論者たちがマルクス, これをさかのぼればへーゲルの弁証法を哲学的思惟の方法としていたのに対し, 先生の立場は存在論であったことである.
しかし存在論といっても, 先生の哲学の意図は, 存在の意味を問うてゆくというハイデガー流の存在論ではなくて, まず存在一般を基本的なカテゴリーに分け, その上に体系を構成し, さまざまな哲学思想や問題を, その体系の中で説明してゆくという意味での存在論であった. まさにその意味で「存在の論理学」であった.

あえてその先蹤を求めるとすれば, 山内得立先生の『存在の現象形態』をあげることができょう. 事実, 山内先生はその書評の中で, 松本先生のこの著作を激賞しておられた.
しかし山内先生の研究が, その名の示す如く存在の「現象形態」であり, 先生がドイツで学ばれた現象学にもとづく, 存在のカテゴリーの体系的な意味づけの試みであったのに対し, 松本先生がそこから学んだ存在論は, 伝統的なスコラ哲学の存在論であった.
しかしながら先生は, スコラ哲学をそのまま鵜呑みにしたのではない. 先生がスコラ哲学から学んだものは, 存在と本質との区別という根本思想である. これを先生は自分流に解釈して, 「がある存在」と「である存在」という分りやすい日本語で表現された. そしてこの区別を根本にして, その上に 先生独自の存在のカテゴリ一体系を構成,しそれによって哲学の諸思想, のみならず自然科学の問題までも解釈し, 体系的に説明された.

上記のように, そのころ日本の哲学界には三つの傾向があり, 特にその中でも第ーと第二とは対立し反目し合っていたが, それにもかかわらずこの三 つの傾向に共通する特徴があった. それは, この時代の哲学研究者たちが, 殆んどすべて戦中に多かれ少なかれ思想的に圧迫されていた人々であり, 終戦とともにその圧迫から解かれ, 解放感に溢れていたことである. これからいよいよ本格的に哲学をやるのだという希望がみなぎっていた. そのような 希望のうちに同志相集い, いくつかの学会が成立したのである. 日本哲学会もまた, そのような雰囲気の中で成立した.

その哲学会の第何回目であったか, おぼえていないが, 東大でなされた発表会のとき, そのあとで, 有志の先生方が集まり, 中世哲学会設立のための準備打合わせ会が開かれた. そこに, 中世哲学に関心をいだく先生方が全国から集まられた. 私はまだ学生であったが幹事として出席し, そこで始めて 幹事であった今道さんに会った. そのとき集合された先生方こそは, 中世哲 学会創設の恩人であり, 後に名誉会員とされた方々である. そこで何が具体的に議されたか忘れてしまったが, ただ一つだけおぼえていることがある.
それは, そこに集合された先生方のうち, 誰一人として中世哲学の専門家はおられなかったということである. 先生方はこれまで哲学を教えてこられた. それは西洋古代か近世以後の哲学にもとづくものであり, 中世哲学ではなかった. しかしそこに集ってこられた先生方は共通して, それまでの日本における西洋哲学の受容の仕方に何らかの不満を感じ, あるいはそれぞれの哲学研究の進め方に行きづまりを感じ, その不満や行きづまりを解決するものを, それまで一般に無視されていた西洋中世の哲学のうちに予感して, その期待のうちにこれから中世哲学の研究をしようと意気ごんでいた. その意気ごみにおいて先生方は共通し, その意気ごみの中で中世哲学会は発足したのである. その初代の委員長は松本先生が選ばれた. もっとも会長として石原謙先生があげられたが, 実質的に会の運営を指導したのは松本先生であった.

このようにして発足した中世哲学会においては, 出身学校とか宗教の有無とか, 宗派の別とかいうような差別の意識はなかったと思う. みな共通の目的に向って希望にふくらみ, 活発で自由であった.

それを支えていたのは委員長の人柄であった. じっさい先生は学会の委員長として適任であった. 先生は常識に富み, また良い意味で政治的であった. 反対する人々をも大らかに包含する暖い度量があった. だからわれわれは先生のもとにいつもくつろぎを感じた. 今から考えれば, このような先生の御態度のもとに, 先生の「存在の論理学」の哲学が存在したように思われる. 先生は中世哲学会の運営において, その哲学の理論を実行されたのである.


存在論 - Wikipedia
スコラ学 - Wikipedia
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20141030#1414665479
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20141029#1414579190
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20140902#1409654998


http://d.hatena.ne.jp/d1021/20141105#1415184032
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20141105#1415184037
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20141105#1415184034
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20141103#1415011268
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20141103#1415011270
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20141103#1415011271
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20141103#1415011272
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20141029#1414579192
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20141024#1414147862