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「上からの哲学」と「下からの哲学」ー櫻井誠と廣松渉(2)ー「在特会」と「物象化論」の哲学。 - 哲学者=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記』

私が愛読する吉本隆明の『転向論』のテーマは「大衆の原像」だが、それは、要約すると、民衆や土地、風土いう人間存在の土壌の深くに根ざしていない思想は駄目だと言うことである。

逆に、たとえば、「学者の会」や「憲法学者」や「芸能人」まで立ち上がり、巨大な大衆運動に盛り上がった「反安保法制デモ」に若干に違和感を感じたのだが、それは、あのデモが、「大衆の原像」に根ざしたものではなく、「上から目線」で、民衆を見くだすかのような「上からの哲学」にもとずくものだったように見えたことだった。

特に、全国の大学教授たちが「学者の会」なる集団を結成し、小学校の学級会並みに勢揃いし、「安保法制反対」なる記者会見を行うと同時に、途中から、盛り上がり始めたデモに参加、横取りするかのように、デモを主導し始め、「ようやく日本にも民主主義が定着し始めた」などと言い始めたらしいと分かった頃から、強烈な違和感を感じ始めた。

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#総がかり #学者 #反知性主義


廣松渉 - Wikipedia

福岡県立伝習館高等学校中退後、大検に合格して大学進学資格を得て、東京学芸大学に入学するも、中退して東京大学文学部哲学科に再入学をする。当初はエルンスト・マッハに対する関心が強かったが、指導教官の勧めもあってカント研究に専念することになる。その後、東京大学大学院に進学。1965年に博士後期課程を単位取得退学している。

1965年から1970年まで名古屋大学でドイツ語、哲学などを教えるが、学生運動を支持して辞職。1973年に大森荘蔵の要請で東京大学教養学部の非常勤講師となり、1976年に助教授、1982年に教授に就任した。1994年3月に東大を定年退職。

マルクス/エンゲルスの思想における物象化論を中心に、マッハ、フッサールハイデッガー等と対質しながら、特異な文体を用いて、主観-客観の二項対立図式を止揚すべく独自の哲学を展開した。

マルクスエンゲルスの研究の一方で、主観・客観図式による伝統的な認識論を批判。主観・客観とされているいずれの側も二重になっており、全体として世界の存在構造は「四肢的」だと指摘した。また、実体があって関係があると考える物的世界観に対し、関係があってこそ実体があると考える事的世界観を提起した。1970年代以降には、独自の哲学体系を構築することに力を注ぎ、1982年に主著となる『存在と意味』第一巻を発表した。これは全三巻の予定だったが、1993年に第二巻を出版したところで病に倒れることになった。

1994年3月16日の朝日新聞夕刊において、「東北アジアが歴史の主役に——日中を軸に“東亜”の新体制を」と題した論説を発表し、「アメリカが、ドルのタレ流しと裏腹に世界のアブソーバー(需要吸収者)としての役を演じる時代は去りつつある。日本経済は軸足をアジアにかけざるをえない」と主張した。また、日中を軸とした東亜の新体制が「日本資本主義そのものの抜本的な問い直しを含むかたちで、反体制左翼のスローガンになってもよい時期であろう」とも唱えた。

大森荘蔵 - Wikipedia

帰国後、1953年、東京大学講師に就任。さらに留学後、助教授を経て、1966年、東京大学教養学部教授(科学史・科学哲学科)。これまでの日本の哲学研究が学説研究・哲学史研究などの文献学に偏りがちだったが、「哲学とは、額に汗して考え抜くこと」という言葉のもと、60年代以降に大学で学んだ人たちに直接・間接に大きな影響を与え、野家啓一、藤本隆志、野矢茂樹中島義道ら現在第一線で活躍中の数多くの日本の哲学者たちを育てることとなった。1976年、東京大学教養学部長就任。翌年、辞任。1982年、放送大学学園教授。1983年、放送大学副学長就任。1985年辞任。

その哲学は、独自の「立ち現れ」から説く一元論が特徴である。心身二元論で把握された世界のうち、「物質」についての記述ばかりしてきた科学に対し、科学の言葉では「心」を描写することはできないとする。そして日常世界と科学の世界は共存しうると大森は主張する。


「わたし」と自然との間には何の境界もなく、「わたし」の肉体とそれ以外のものに境界があるだけである。共に、「立ち現れ」である点で、私は自然と一心同体であり、主客の分別もない。
禅などに見られる「主客合一」とは異なり、少なくとも、日常にはそういった区別が無い、ということである。あくまで、科学の可能性と限界を見極め、それとは異なる世界の眺め方を提案する。それが大森の哲学の大要である。

万物一体論(ばんぶついったいろん)とは - コトバンク
万物一体の仁(ばんぶついったいのじん)とは - コトバンク
法話「大いなる命の中に」: 臨済・黄檗 禅の公式サイト

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