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Hemmi Tatsuo

この言葉に出会った。「政治理論や経済理論の核となる分析上の難問を解決することを、歴史には期待できない。しかし長く期待されていた問題解決を、社会科学・政治学が実現できない時こそ、歴史の出番である。歴史は懐疑主義の道具である。それはより良い疑問を提示するのに役立つ。より厳密に言うと

Hemmi Tatsuo

歴史は、不毛な堂々巡りをして、いくつかの疑問を何回も繰り返すことを避ける助けになる。良い歴史は、理論的、実践的行き詰まりを明らかにし、それを巡る定型の論争の繰り返しを排除することができるのである。」(『貿易の嫉妬』日本語訳114頁)」

Hemmi Tatsuo

こんな言葉にも出会った。〈ラクラウは、エドムント・フッサールの「沈殿(sedimentation)」と「再活性化(reactivation)」の区別を、「社会的なるもの」と「政治的なるもの」との区別を理解するために援用する。「社会的なるもの」とは、沈殿の状態である。沈殿とは、

Hemmi Tatsuo

物事の起源が忘却され、あり得たはずの他の選択肢が見えなくなり、元々の偶発性の痕跡が消え去ることである。この時、既存のものは、実際にはあり得た別の可能性を排除しているにもかかわらず、客観的な存在と見なされる。これに対して

Hemmi Tatsuo

「政治的なるもの」は再活性化として把握される。再活性化とは、そのような「客観性」の偶発的な性質を、新たな敵対性の発生を通じて再発見することである〉(田村、2014、59頁)。