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1995年へのオマージュ 2015年に起きる5つの変化とは (連載「パックス・ジャポニカへの道」) - 原田武夫国際戦略情報研究所公式ブログ

日本語では「時間」という言葉で片づけてしまうが、古代ギリシア人たちはこれを2つに分けていた。「クロノス」と「カイロス」だ。


「クロノス」とは過去から現在、そして未来へと至る時の連なりを指す。これは主に物理的な動きを見ることによって感じ取ることが出来るものだ。例えば砂時計を思い出してもらうと良い。砂が落ちるのを見て、「時が経った」と感じる、それが「クロノス」である。


これに対してカイロスとは”今”を感じるという意味である。人は何かに熱中し、充実していると感じている時、ふと我に返り”今”をも感じる。このように切り取られた瞬間という意味でのポジティヴな「今」として感じられるもの、それが「カイロス」なのだ。

よくよく考えると、あの時代=1990年代半ばに私たち日本人を突然覆った出来事を今、丹念に思い起こしてみるならば、結局今、世界中で起きていることはその拡大コピーに過ぎないのではないかという気づくということを言いたいのである。例えばこんな感じに、だ。

その意味で「気付き」を得る者と、そうではない者との間でくっきりと区別されていく。なぜならば前者の意味での者(=覚醒したという意味での「ヒト」)と、そうではない者(=ヒトとヒトの間で漂っている者という意味における「人間」)はまったくもって身心の状況という観点で異なって来るからである。簡単にいえば前者は自然(じねん)と合致した人生を送っているが故にストレスを感じることが無い。なぜならば自然(じねん)と合一になるが故に「クロノス」ではなく充実した時という意味での「カイロス」しか感じなくなるからである。最近、米欧のビジネス・リーダーたちが盛んに早起きを進めているが、それを取り上げている我が国メディアの記事は本質をとらえていないようである。「ヒト」と「人間」との分岐点が到来している

最近流行りのピケティの議論にあるような小難しい話ではなく、「ただそれだけのこと」が所得格差を広げ、ついには政府財政を崩壊させていくのである。

最近、ドイツが要するにクラウドへ全部乗せてしまえという乱暴な議論としての「インダストリー4.0」などという議論を喧伝しているようだが、これは新しいように見えて、結局はかつて来た道の繰り返しでしかない。だが、海の向こうの彼らはその延長線上に人智を超える存在としての「自然(じねん)」に対抗する存在として今度は「人工知能(Artificial Intelligence, AI)」研究に熱をあげており、「2045年には感情を持つAIが出来上がり、生身の人間を超える」などと言い出している。作用に対しては時に激烈な反作用を及ぼすのが自然(じねん)の鉄則である。いよいよ米欧の文明は完全なる破滅への道に入り始めたと言わざるを得ない。

経済において金融資本主義が破綻へと向かい、それに伴い政治もデフォルトで政府が崩壊するという事態に。さらには人智を超える世界から否応なしに激甚災害を繰り返し蒙らされるということになれば、マズロ―の定式に基づき、私たちは再び「生存欲求」に立ち返るはずなのである。「今日も生きながらえてよかったね」と真に足るを知る生活へと回帰する、そういうトレンドが今後は世界中の至るところで浮かび上がって来るはずだ。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20150108#1420713474
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