https://d1021.hatenadiary.com
http://d1021.hatenablog.com

masanorinaito

パリでの行進に、パレスチナの代表や、ヨルダン国王や、トルコの首相が参加したからといって、何の意味もありません。アリバイ作りに行くだけです。彼らはテロを憎み、ちゃんと指導者の言うことを聞けと言うだけです。イスラム世界が、連帯を示したと思うならよほどお気楽です。

masanorinaito

フランスの世俗主義は、信仰を個人の私的領域での実践に限定することで信教の自由を保障できるとし、イスラムは信仰実践に公私の別を設けないから公的領域だけ非宗教的でなけらばならないというライシテは理解できない。できない相手にフランスに居るなら従えと言い続けた。

masanorinaito

ある時、ストラスブール欧州評議会で、ヨーロッパとイスラムについての会議に参加した。欧州評議会は、EUとは別に人権問題等を中心に議論する組織。私は、フランスが何故ライシテを民主主義と自由の根幹として重視するかを理解しているが、パラダイムを異にするムスリムにそれを正面から

masanorinaito

押し付けると衝突するので、やり方を工夫すべきだと主張した。スカーフ論争については、ムスリム側から見ればまるでフランスが国家を挙げてセクハラをしているように見えている。女性が身体のどこを隠すかは女性自身に委ねるべきで、そもそもスカーフはイスラムのシンボルではないと言った。

masanorinaito

フランス以外の国からの参加者は控えめながら賛成したが、パリから来たフランス人からは激しく非難された。ライシテなくして文明化はできないというので、では、ここストラスブールの人達は文明化それなかったと仰るのかと反論した。アルザスはドイツと帰属を争った歴史から一部ライシテの適用除外。

masanorinaito

パリからの来た学者は激昂して私を罵ったが、地元の事務局の人達は下を向いて笑っていた。

masanorinaito

トルコ、ダウトオウル首相のパリでの発言。ヨーロッパは多様な文化をもつ大陸である。今日ここに、ヨーロッパの人びとが共に一つになろうと行進に参加した。それが、イスラムに対してもセンシティブさを理解した行動になることを期待する。シリアやパレスチナの状況に対しても声をあげる必要がある。

masanorinaito

2005年に、移民が集中するパリなど大都市の郊外で若者達による暴動が連鎖的に起きた。クリシー・スー・ボアという町で、警察が移民の少年達を追い、変電所に逃げ込んだ少年2人が感電して死んだ。それがきっかけ。当時内相だったサルコジは郊外の移民少年達をゴロツキ呼ばわりし、火に油を注いだ

masanorinaito

その時、パリ市民が「私もbanlieu=郊外の人間」などと連帯を示すことはなかった。その頃、パリに行って、いろいろな人に話を聞いたが「あれはバンリューの問題でパリは安全。あなた達外国人は騒ぎすぎ」と言う人がほとんどだった。

masanorinaito

識者たちも、バンリュー(郊外)の暴動は、貧困の問題と主張した。移民の問題だと指摘する人は居たが、彼らがアラブであるがゆえに、アルジェリア系であるがゆえに、或はイスラム教徒であるがゆえに差別されることなどあり得ないと胸を張っていた。

masanorinaito

彼らを理解しようという姿勢がなかったと言ってもいい。彼らの中から、やりきれない思いを家の宗教だったイスラムに求める人達が出てくるのは確実だった。イスラムには癒しがあった。そんなはずはない、バンリューの問題は宗教問題などではない、切り捨てたことが今回のテロの背景にある。

masanorinaito

バンリューには、それこそ多様な系統のイスラム組織があり、生活に戦い疲れた、或は警察との衝突に疲れた若い男女が集まるようになった。パリの人々が、あそこは暴力の巣窟、嫌な地区、移民だらけでしょ、と話しているあいだに…

masanorinaito

テロを予測したなどと言うつもり全くはない。だが、郊外での暴動が起きた当時、いつか若者達がイスラムに回帰し、その中から欧米諸国と暴力で戦うことがジハードだと思い込む人達が出てしまうことは何度も何度も指摘したが無視されてしまった。

masanorinaito

以下、ごく大雑把な説明なので、目くじら立てずに見てください。ヨーロッパ各国のイスラム教徒移民の処遇

masanorinaito

ドイツ→居てもいいけど、居場所はない。ドイツはキリスト教国だからイスラムを表に出すと居場所がなくなる。それに、ようやくドイツ生まれの移民に市民権を与えるようになったけど、元々、誰がドイツ人かは血統主義による。

masanorinaito

イギリス→移民は出自の文化を維持しながらイギリス社会に統合されればいい。移民地区にはベンガル語ウルドゥー語の表記もあり。だが結果として移民コミュニティは孤立。宗教を表に出してもかまわないし、宗教による差別は原則禁止。

masanorinaito

フランス→共和国の憲法原則に従い、公的領域で宗教を出すのは禁止。長い教会との闘争の末に獲得した個人の自由により、涜神の権利は民主主義の基盤。移民がイスラムに回帰すると居場所がないどころか、出て行けと言われても仕方ない。

masanorinaito

オランダ→各宗教コミュニティは各々それを維持しつつオランダ社会を構成してよい。無神論者にも同じ権利がある。後から参入したイスラム教徒にも同じ権利を保障する。だが、9.11以後、このリベラリズムが、イスラム=他人の自由を侵害する押し付けがましい宗教とされ、一挙に排斥の対象になった

masanorinaito

というように、多くの国がひしめくヨーロッパでは、移民政策も、対イスラム教徒政策も、全く一様ではないのです。それにもかかわらず、イスラム圏からの移民は、世代が代わるにつれてイスラムに回帰していく傾向は共通でした。

masanorinaito

残念ながら、フランスの知識人も日本のフランス研究者も、イスラムだけでなく、隣国のことをほとんど知りません。国家単位で切り離された自文化中心主義を克服することは急務ですが、フランス語もドイツ語も出来て、現代社会の研究をするのは困難を極めます。私にも到底そんな力はありません

masanorinaito

たまたま私がこういう問題に気づいたのは、私の研究の基盤がトルコだったためです。植民地関係がなかったので、トルコ出身の移民はドイツだけでなく、オランダにも、フランスにも、スウェーデンにも、ヨーロッパ全土に暮らしています。限界はよく承知しています。

masanorinaito

このまま行けば、衝突に至ると考え、それを避けるために何が必要かを考えることが私の研究課題となりました。問題は西欧vs.イスラムだけではありません。ムスリムが多数を占める中東・イスラム世界の国々でも、国家とムスリム市民との衝突がどんどん激しくなっています。

masanorinaito

ここ数年は、その問題を考え続けています。