また「学際研究」に出会う。分野違いの研究者の集まりを正当化する便利なパッケージだが、各々が各々の研究を持ち寄ったところで学際的になるわけではない。レスリングとボクシングが出会っただけではどうにもならないのと同じ。私の理解では学際性が生きるのは問いが共有されているとき。
学際研究について模式的に述べる。一つの学問分野は、核となる問いとそれを解くための方法からなる(パラダイム)。真に学際研究が必要なのは、従来の学問によって問われてこなかった問いを解く必要がある場合で、このとき既存の諸分野にはブリコラージュ的・解体的に利用されることになる。
通常イメージされるような、異なる学問分野の研究者の単なる「交流」は、それぞれの問いを解くためのヒントを与えてくれる程度のもので学際的とはいえない。その程度のヒントを「学際性」と呼ぶなら「落下するリンゴ」にも同等の位置を与えなければならない。
つまり学際性とは従来の学問分野がカバーしない問いの派生物のこと。新しい問いに取り組めばそれに対応する方法は、学際的にならざるを得ない。したがって、新たな問いに取り組むために他分野の研究者が集まって知恵を出し合うのが、学際研究の真っ当な姿と思われる。