「新宿御苑」が持つ壮大な歴史 内藤家の江戸屋敷の生まれ変わり - ライブドアニュース
明治維新になって、大名たちは江戸屋敷を新政府に返上しました。内藤家も敷地の大部分と屋敷を放棄しています。
広大な敷地は、政府の農事試験場、皇室のための野菜や果物、花をつくる御料農場をへて、1906年に、前例のない規模の大庭園「新宿御苑」となりました。
疎開先は、江戸時代に内藤家が治め、当時はまだ屋敷が残っていた高遠町(たかとおまち・長野県伊那市)でした。ありがたいことに、地域の青年団が2週間に1回くらい、背負いカゴにカボチャやリンゴなど季節の野菜や果物を入れて、交代で届けてくれました。
この屋敷の隣には、高遠藩の藩校・進徳館があり、一部が今も残っています。進徳館というのはユニークな教育をしていたところです。年少と年長、よくできる子とできない子を組み合わせて勉強をさせました。わからないところをわかる子が教える。これだと落ちこぼれが出ないんですよ。
明治から昭和の文豪、田山花袋は高遠を訪れて、歌を残しています。「たかとほは山裾のまち古きまち ゆきあふ子らのうつくしきまち」。この歌が高遠町の誇り。確かに、今でも高遠の子どもたちは知らない人たちにもあいさつします。
高遠は桜の名所でもあります。高遠城の跡に咲くタカトオコヒガンザクラは濃いピンク色です。遠くから見ると、山の中腹にピンクの雲がかかっているよう。高遠城址公園での花見は、地形に高低差があるから上も下も正面もぜんぶ桜。それは見事なものですよ。
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20150228#1425120469
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20150215#1423996510