【全文掲載】これぞ戦後最大の詐欺である 適菜収(作家、哲学者)+本誌取材班――特集 「大阪都構想」の大嘘|矢来町ぐるり
住民投票で賛成票が上回れば、大阪市は完全に消滅、五つの特別区に解体され、府の従属団体になる。当然、大阪市民は自治権を失う。常識があれば、こんな百害あって一利もない制度に賛同するはずはない。
私が橋下を批判すると必ず次のような反発が寄せられる。
「実際、大阪はよくなってきたんや」
「橋下さん以外に大阪の既得権益は破壊できない」
「橋下さんはばらまきの補助金をカットした」
こんな趣旨のメールも受け取った。
「二重行政を解消しないかぎり大阪の未来はない。適菜さん。一度、タウンミーティング(以下TM)に来てください。橋下代表が正しいことがわかると思います」
それならば行ってみよう。三月一五日早朝、私は簡単に荷物をまとめ、JR東京駅から新幹線に乗った。
参加者は老人がほとんど。若者を目にすることはなかった。男女比はおよそ半々か。入場時には、鞄の中身がチェックされ、空港にあるような金属探知機を通らされる。入り口付近で案内をしているスタッフは、普通のおじさん、おばさんであり、悪意があるようには見えない。おそらく橋下が大阪をよくすると深く信じているのだろう。
「今の大阪府、大阪市にはものすごい問題、これはもうある。これを解決しないことには大阪には未来がない。これが大阪都構想、賛成の立場」
「今の大阪府、大阪市を前提にしてもいくらでもそんなのはなんとかなるよという立場が、大阪都構想反対派の人たちです」
複雑な事象を単純化し二項対立に落としこむ。
「さあ奥さん。どちらを選びますか?」
というわけだ。橋下は畳み掛ける。
「ここで立場が違うんだから、話し合ったってしようがないわけですよ」
「大阪市という名前、死んでもこれは手放せないという人たちは、大阪都構想反対派です」
「東京を飛び越えてニューヨーク、ロンドン、パリ、上海、バンコク、そういうところに並んでいく大阪というものを目指そうとする。これが大阪都構想賛成派」
次第に話が大きくなってくる。私の目の前に座っている中年男性二人が、深く頷きながら橋下の話に聞き入っている。催眠商法の手口だ。老人を密室に集めてテンポよく語りかける。
「スポンジ、今日は一円でいいよ」
老人たちは我先にと手を出してスポンジを奪い合う。
「洗剤は一〇円でいい。先着一〇人だ」
老人たちの鼻息が荒くなる。そして我に返ったときには、高額の羽毛布団を買う契約書に判を押しているわけだ。
政令指定都市である大阪市が解体されたら、金欠により都市計画も進まず、ニューヨーク、ロンドン、パリどころか、町や村以下の特別区になるのである。自民党大阪市会議員団幹事長の柳本顕が「毒饅頭」と言うのはこれだ。
橋下はヒートアップしていく。
「これからの時代、やっぱりその枠を飛び越えた新しい大阪をつくっていこう。そして今の大阪を考えるんじゃなくて、子供たち、孫たちに二〇年後、三〇年後、四〇年後に新しい大阪を残していこうと考える人たちは、大阪都構想賛成派になります。大体これでどちらの立場に立つかということは決まってしまって、これで賛成、反対になるんです」
もちろん、ほとんどの聴衆は「大阪都構想賛成派」になるのである。
TMに参加して、驚いたことが二つある。一つは橋下の気迫だ。一時間以上一気に喋り倒す。私は聞いているだけで(肉体的にも精神的にも)疲れたが、橋下は喋り倒した上に、この日は五ヶ所の会場を回っている。普通ではない。相当強い動機があるのだろう。
二つ目は内容である。スピーチの構成はよくできており、心理学の手法を応用した巧妙な詐欺である。その場では検証できない数値や嘘を積み重ねていくので、ある程度の教育を受けた人でも事前に情報や知識がなければ騙されてしまう。ましてや地元の老人が橋下の嘘を見抜けるとは思えない。
「二重行政」は重要なキーワードである。大阪府と大阪市の二重行政を解消することにより、税金の無駄遣いがなくなり、財源が生まれる。これが橋下らが唱える「都構想」の「効果」である。これにより当初は年間四〇〇〇億円の財源を生み出すのは「最低ライン」と言っていたが、大阪府と大阪市が試算した結果は九七六億円。さらにその数字も橋下の指示による粉飾だった。この件について記者から追及された橋下は「議論しても仕方ない」と言って逃げている。
現在、大阪市会の野党が出している「効果」は約一億円だ。この時点で当初の四〇〇〇分の一だが、さらに制度を移行するための初期投資に約六〇〇億円、年間コストが約二〇億円かかる。「一円儲かるから六〇〇円払ってください」と言うのと同じで、「都構想」とは足し算ができれば誰でもわかる詐欺なのだ。
なお、WTCビルは大阪市港湾局が中心となって計画し第三セクターが建てたもので、単なるゼネコン事業の失敗である。二重行政とはなんの関係もない。実際、大阪府議会で、自民党の花谷充愉幹事長が「こうした施設(WTCビルなど)は特別区でも設置できるのか」と質問すると、大都市局の理事が「特別区で実施できないものではない」と答弁している。
花谷は「二重行政を二度とつくらない大都市制度という宣伝は、有権者を騙すことになる」と指摘していたが、橋下の目的は最初から有権者を騙すことにある。過去の事業の失敗例を恣意的に抽出し、制度の問題にすり替えて批判するわけだ。
橋下は言う。
「なぜ二重行政になるのか」
「大阪府知事と大阪市長、一人一人がいるからです」
「これを一人にしてしまえばいいんです。これが大阪都構想の考え方」
「え、そんな単純なことなのと思われるかもわかりませんが、そうなんですよ」
そもそも、五月一七日の住民投票で問われるのは大阪市を解体するかどうかである。その手続きを記載した『特別区設置協定書』には、「大阪都」「都構想」「二重行政」という言葉は一切出てこない。「二重行政の解消のために都構想を実現する」という話は住民投票とはなんの関係もないのだ。
また、政令指定都市は国内に二〇あるが、二重行政を問題にしているところはほとんどない。『読売新聞』(三月二九日付)が政令指定都市および政令市のある道府県の首長計三三人(大阪市長、大阪府知事を除く)に対しアンケートを行った結果、政令市分割が必要とした首長は一人だけ。逆に多くの首長は政令市の権限・財源の拡充を主張している。当たり前だ。自ら権限や財源を放棄するバカはいない。橋下らの狙いは、大阪市民からカネを騙し取り、府の借金返済に流用したり、湾岸部にカジノを建設し、そこへアクセスする交通網を整備することだろう。そこに莫大な利権があることは容易に想像がつく。
橋下は言う。
「今から七二年前は東京府と東京市だった。東京でも二重行政だったんです」
「でもこれじゃあ問題だということでね。今から七二年前、一九四三年に東京府と東京市をあわせて一つにした」
「それ以来、東京では七二年間、二重行政ということは誰も言わなくなりました。完全に二重行政はなくなったんです」
もちろん嘘である。当然、東京にも二重行政は存在する。また、東京府市の合併を推進したのは内務省であり、戦時下において住民の自治を奪うことが目的だった。
橋下および維新の会は確信犯である。それを如実に示すのが詐欺パネルの数々だ。
公明党大阪市会議員の辻義隆は憤慨する。
「ある意味、橋下市長はTMに集まる維新の会の支持者までバカにしているんです。こうしたパネルを使うのは、典型的なプロパガンダの手法ですよ」
もっともTMや街頭演説では、グラフの細かい目盛りまで見えない。悪質なのは、学者や市民団体がこうしたパネルの細工を指摘しているにもかかわらず、維新の会のウェブサイトに堂々と掲載し、使い続けていることだ。
「大衆は小さな嘘より大きな嘘の犠牲になりやすい。とりわけそれが何度も繰り返されたならば」
とヒトラーは述べている。橋下は「ウソをつかない奴は人間じゃねえよ」(『まっとう勝負!』)と述べているが、五月一七日の住民投票まで徹底的に嘘をつきとおす方針を固めたのだろう。
橋下は「無限」を繰り返す。
「大内先生は無限と言いましたけど、これは無限なんですよ」
「使えるお金がたまっていくんです。だから無限なんです」
「二重行政をやめて、税金の無駄遣いをやめれば、大阪市には税金が入ってくるんですから。だから使えるお金は無限」
無限エネルギーや永久機関のようなうまい話にはかならず裏がある。どんなに荒唐無稽な話でも、騙される人間が存在する限り、詐欺はなくならない。
「大阪維新の会ができるまで、大阪市の教育予算てわずか六七億円ですよ」
「(小中学校は)お金がないといってクーラーつけてなくて、何をやったかというと平松さんはゴーヤとヘチマを植えたんですよ。それで涼しくしようとして」
聴衆が笑う。橋下の得意ネタである。
「もう小学校、中学校、クーラーつけましたよ。中学校は全部ついています。小学校はあと一年で全部つきます。それだけで二〇〇億か三〇〇億ぐらいお金かかりました」
また、橋下は子供にタブレット端末を配ったことを自画自賛する。
「まあ見事に子供教育予算を五倍に増やしました。今まで大阪維新の会以前では本当にできなかった」
これも大嘘である。棒グラフに細工が施されているのは他のパネル同様だが、そもそも、平成二三年度の六七億円という数字が嘘なのだ。
平松市政が行なわれていた平成二三年度のこども青少年費は一六八七億円、教育費は九八〇億二二〇〇万円である。平成二六年度の橋下市政では、こども青少年費が一七一三億一九〇〇万円、教育費が八四五億五六〇〇万円。つまり、橋下は一〇八億四七〇〇万円も予算を削っているのである。維新のパネルは「塾代助成」などを恣意的に取り出して作成したものにすぎない。
ちなみに、橋下がクーラーをつけたというのも嘘らしい。前出の辻議員が言う。
「あれは平松市政のときに公明党の漆原良光議員が質疑をして補正予算をつけたんです」
二重、三重、四重に嘘をついているので、橋下本人も自分が何を言っているのかわからなくなってきたのではないか。
次に橋下は弁解を始めた。
「七〇歳以上の方は今まで地下鉄・バスが完全無料だった敬老パス、僕が変えました。年間三〇〇〇円と一回五〇円のご負担をいただきましたけれども、これはね、高齢化を迎えるこの大阪において、完全無料はできません」
二〇一一年の大阪市長選で維新の会が撒いたビラにはこう書いてある。
「だまされないで下さい!!」
「大阪市をバラバラにはしません。」
「敬老パスはなくしません。」
騙しているのは一体どちらなのか?
さらに橋下は老人を恫喝。
「いろいろこういうところで話をすると、必ずただにしろという話になるんですが、もう説明するのが最近面倒くさくなってきたので、もうね、そういう方にはもう結構です。維新の会の応援要りません。共産党の応援に回ってくださいというふうに言うようにしているんです」
いつもの手法だ。自分を批判する人間にレッテルを貼り、印象操作を行なう。
橋下の嘘は続く。
「(反対派は)大阪市民の税金が大阪都に吸い上げられるというんです」
「皆さんは大阪市民でもあり、大阪府民でもあるんです。北朝鮮やアメリカに税金持っていかれるわけじゃないんですよ。皆さんが今までね、大阪市役所に預けていた税金を今度は大阪都庁のほうに預け直すと。仕事の担当者を変えるというだけなんです」
住民投票が通れば、大阪市からは確実に年間約二二〇〇億円の税金が流出する。自民党大阪市会議員団政調会長の川嶋広稔がカラクリを説明する。
「当初、橋下市長は税金は流出しないと言っていた。しかし嘘が通用しなくなってきたので、途中からこのようなレトリックでごまかすようになったのです。しかし『新大阪都庁』に移った財源を『旧大阪市民』が自由に使えるわけがない。単に自主的な財源が失われるだけですよ」
橋下はラストスパートをかける。
「皆さんの住所も今のまんまです」と言った直後に、「ただ、皆さんはこれから湾岸区になります」と言う。
「東京は大東京としてどんどん発展していますけど、これは全部四〇年前、五〇年前の計画が今、花開いているんですよ」
「大阪の場合には大阪府と大阪市がばらばらで、四〇年、五〇年の計画が全然進んでおりません」
嘘である。一九八二年、府市合同で作った委員会で「大阪を中心とする鉄道網整備構想について」が策定され、これに基づき、両者が路線の整備を進めてきたのである。
パネル(5)も話にならない。堺筋線は阪急で京都に、中央線は近鉄で奈良につながっている。堺、八尾、門真など周辺自治体にもアクセスできる。新たな乗り入れができないのは技術的な問題だ。
橋下は詐欺師である。大阪「都構想」は戦後最大の詐欺である。
橋下が今一番恐れていることは「事実」を大阪市民に知られることである。だから現在、メディアや学者、ジャーナリストに圧力をかけ続けているのだ。
前市長の平松邦夫が憤る。
「ここまで橋下をのさばらせたのはメディアです。橋下の嫌がらせに屈し、言うべきことを言わなくなった。ジャーナリズムの矜持を失ってしまったのです」
現在、大阪で進行中の橋下および維新の会の運動は、全体主義そのものである。冒頭で紹介した世論調査では、橋下の説明を「不十分」とする人は七四・九%と、「十分」の一七・四%を大きく上回っている。ここから読み取れるのは、「都構想」の内容を理解していない「賛成派」が大勢いるという事実である。
ナチスは狂気の集団としてではなく、市民社会の中から出現した。そして「ふわっとした民意」にうまく乗り、既得権益を批判し、住民投票を繰り返すことで拡大したのである。
現在、市民の代表が一度は否決した「特別区設置協定書」が、おかしな力により蘇り、住民投票にかけられる事態が発生している。そこに記載されていない事項の多くは、市長により決定されることになっている。つまりは白紙委任だ。
わが国の危機は目前に迫っている。