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岸信介と真逆…安倍晋三が一切触れない“もう一人の祖父”は反戦政治家だった!|LITERA/リテラ 本と雑誌の知を再発見

「確かに晋三さんは岸さんの血を継いどるが、安倍家のおじいちゃんは寛さんで、戦時中に東条英機に反対して非推薦を貫いた偉い人じゃった。それをいいたいが、晋三さんと話をしても岸、岸というんでね」


 そう。安倍首相の祖父・寛は岸とは政治的にも思想的にも正反対の人物だったのだ。


「岸が東条内閣で商工大臣を務めて戦中から権力の中枢を歩いていたのに対し、寛は東条英機の戦争方針に反対し、戦時中の総選挙では『大政翼賛会非推薦』で当選した反骨の政治家として知られる」

「父(寛)は大政党を敵にまわし、その金権腐敗を糾弾し、始終一貫、戦争にも反対を続けた。軍部ににらまれ、昭和十七年の翼賛選挙では、非推薦で戦った。当選を果たしたものの、あらゆる妨害を受けた。私(晋太郎)も執拗な警察の尋問をうけた」(毎日新聞に晋太郎が寄稿した文章から抜粋)

晋太郎にとって、軍部と対立しながらも戦争に反対した父・寛は政治家としての原点となり、一貫して「寛に繋がる安倍家の血脈にこだわっていた」という。ところが晋太郎の息子・晋三はそうではなかった。むしろ、その存在を無視するような態度が現在も続いている。

 晋太郎は周囲から見ると長男・寛信より晋三を可愛がったというが、しかし愛情表現は下手で晋三にもあえて厳しく接したという。さらに勉強が“好きではなかった”晋三に対し、晋太郎は自分の母校でもある東大に行くよう勉強を強いるようになった。一方、母方の祖父である岸は晋三を可愛がり、晋三も南平台にあった岸邸に喜んで遊びにいった。


「政治家への思いと名門家系の誇りに胸をふくらませ、一方では思うようにならぬ勉学に羞恥とルサンチマンを募らせていた多感な高校生にとって、東大卒で反骨の政治家と称えられた父を持つ晋太郎の『愛のムチ』は素直に受け入れられるはずもなかった」


 寂しい幼少期を送ったことによる母・洋子への思慕というマザーコンプレックス、そして父・晋太郎に対する学歴コンプレックス。安倍首相はこうしたコンプレックスの反動で、「昭和の妖怪」といわれた巨大な存在である母方の祖父・岸への“憧れ”を募らせていった。そして、一方では、優秀な父・晋太郎への反発から、反骨の政治家だった祖父・寛の存在を拒否し、自分の意識から消し去ってしまった。


 そういう意味では、晋三はコンプレックスを乗り越えたわけではない。岸信介というもっと大きな権威にすがることで、自分のプライドを癒し、肥大化させてきた。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20150521#1432204663
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20150415#1429094180