アングル:ギリシャがアルゼンチン危機から学ぶこと | Reuters
アルゼンチンの首都ブエノスアイレスのレストラン経営者は、2001年後半に同国で実施された預金封鎖を思い出しながら、「アドバイスするとしたら、銀行から預金を引き出すことだ」と語った。
アルゼンチンは預金封鎖を行った後、ドル建て預金を自国通貨ペソに換金させ、米ドルペッグ制を放棄することを決定した。急進的な政策が多くの国民を貧困に突き落としたのと同時に、同国経済は急速に縮小し、暴動や政権崩壊、1000億ドルもの債務不履行(デフォルト)を引き起こした。
しかし、2002年初めの急激な通貨切り下げから1年もたたないうちに、アルゼンチンは経済成長軌道に戻ることができた。これこそが、2009年から経済が25%以上も縮小しているギリシャが切望していることに違いない。
2001─02年のアルゼンチン危機と、現在ギリシャで起きている混乱には、際立つ共通点がある。柔軟さを欠く通貨制度や、国内政治と債権団の対立構図、限界状態にある銀行システムなどだ。
一部のエコノミストは、ギリシャは旧通貨ドラクマに戻った方が財政政策の自由度が上がり、崩壊寸前だったアルゼンチンの急回復と同様にうまくいくと指摘する。
大豆など一次産品の輸出ブームや景気刺激策によって、アルゼンチンの2003─07年の年間成長率は平均8.5%を超え、南北米大陸で最も急成長を遂げた国の1つとなった。
ただ、2002─05年にアルゼンチンの経済相を務め、経済回復の立役者となったロベルト・ラバーニャ氏は、ギリシャがユーロ離脱を検討するのは時期尚早だと指摘。「通貨切り下げは今の中心的課題ではない。なぜなら、それはユーロ離脱を意味するからだ。そんな必要はないと思う」と語った。
ラバーニャ氏はそのうえで、ギリシャの債務が「再編の必要があるところまで来た」とし、これ以上の緊縮策は無意味であることを債権団は受け入れなくてはならないとの見方を示した。
「ギリシャは緊縮策には耐えられない。それよりも、アルゼンチンがかつてそうだったように、ギリシャは生産性を向上させる必要がある」というのが同氏の見立てだ。
アルゼンチンと違うのは、不況から抜け出すために「目玉」となる輸出品がギリシャにはないことだ。
アルゼンチンで預金封鎖を行った当時の経済相であるドミンゴ・カバロ氏も、ギリシャはユーロにとどまるべきだと警告する。
同氏は今週、自身のブログで「ユーロ圏からの離脱はドラクマの急激な切り下げを伴う。インフレが発生し、実質賃金と年金が大幅に減少するだろう」と指摘。このような事態は、債権団の支援プログラムより悪い結果をもたらすと危惧する。
いずれにせよ、ギリシャ国民はさらなる痛みを覚悟する必要があるだろう。
アルゼンチンは預金封鎖後、経済だけでなく、政治的・社会的混乱の悪循環に陥った。2週間で大統領が5人も交代し、高等教育を受けた若者たちは祖父母の故郷である欧州へと移住していった。
2002年、アルゼンチン経済は11%縮小した。
投資銀行プエンテのアレホ・コスタ氏は「金融システムの崩壊は部分的にはデフォルトの結果だが、ドル建て預金のペソ換金を余儀なくさせられたことが主な原因だ。多くの銀行は資本がマイナスになった」と指摘。「金融システムの崩壊は生産の崩壊にもつながった。それがギリシャにとって最大の懸念だろう」と述べた。
自国の銀行が破綻するのを防ぐために、ギリシャは債務を再編するよう債権団を説得し、国民の所得を減らして購買力を低下させる必要がある。
コスタ氏は「そうすればデフレが起き、ユーロを離脱しなくても競争力を取り戻すことができる」と指摘。そのうえで「ただ世論にそれを納得させるのは非常に難しい」と語った。
ギリシャのチプラス首相は、自国の経済危機をドイツ主導の緊縮策のせいだと非難し、さらなる緊縮策、とりわけ年金削減には断固として反対する姿勢を示している。
10年以上前の預金封鎖とそれに続いた通貨切り下げに、今なお苦しむアルゼンチン国民の多くは、ギリシャ人に同情を寄せる。
「われわれは大豆に救われた。彼らを救うものは何だ。漁業か」と、57歳のテレビスタジオ技師は語った。