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toy2

学説とかどーでもええねん
テストで書いて単位が出る説を1個だけ載せといてくれ

反知性主義だ(棒読み)

学者になる気ないのにこんなん見せられてもしゃーないやろ

わかる。判例に全部従っとけー。

僕は全部伊藤真に従います

まぁ賢明といえば賢明かもしれない

Onninen

物権、一夜漬けでどうにかなった……。伊藤真大先生ほんっとに尊敬する🙏

Onninen

神様仏様伊藤真

岩竹

次に労働法受けるときは大内の魔本じゃなくて伊藤真先生の聖書使おう

伊藤塾塾長のメソッド・「考える力」をつけるには | PHPオンライン 衆知|PHP研究所

 しかし、いくら情報や知識を記憶したところで、それは単に「知っている」だけにすぎず、何かを考えるための道標にはなりません。試験問題で正しい解答を欄に埋めるだけならともかく、自分の頭で論理を組み立てるには、必ずある問題について「自分なりに理解する」というプロセスが必要になります。


 たとえば「法律」というものについて考える場合、まず押さえなければならないのは、「どうしてその法律ができたのか」という、先人が考えた理屈になります。それがわからないと問題の本質がつかめません。


 法律以外でもそれは同じことです。たとえば「相対性理論」という有名な理論がありますが、そもそもどのような問題を解決するためにこの法則があるのかを知らなければ、試験問題には答えられても、物理の諸問題を考察したり、あるいは新しい技術を生み出したりする際に、この法則を使いこなすことはできないわけです。


 これら先人が考えたことを自分の頭のなかで再構成し、考えるための素材としてストックしておく、これが「記憶」です。


 ですから本来の記憶の使用法とは、「年号が1年違う」とか、「綴りが1文字違っている」とか、そのような些末な問題を指摘するためではないのです。そのような細かいことは辞書でもインターネットでも代替可能なわけですから。


 むろん記憶したことを完全に忘れてしまっては意味がありませんが、正確に覚えていることよりも、むしろ自分がある問題を考えようとするときに「この問題はこういうふうに理解すべきだったな」と、それを思考の道具として使えるか否かが重要になります。

 「理解」や「記憶」のために必要なのは、「勉強」です。


 しかし、「試験のため」に勉強するならともかく、私たちは「自分を伸ばそう」とか「もっと可能性を広げよう」という先の見えないことに対しての勉強に関しては、積極的でない傾向があります。このような姿勢は結果的に自分の成長を阻むことになります。


 たとえばどのような仕事であっても、その仕事で「セオリーとされていること」があるでしょうし、その仕事の先人が確立したノウハウがあります。これらをまったく修得せずして、「面白い仕事ができない」とか「自分には難しい」と思考停止しているのは本末転到です。まず「基礎」として、それらをしっかり身につけることが出発点でしょう。


 けれども現実には、常に「セオリーどおり」、「先人のノウハウどおり」やっていたのでは、うまくいかないこともあります。しかしだからこそ「セオリー」や「過去のノウハウ」を勉強して土台にすることで、自分で考え、そこにプラスアルファを乗せていくわけです。その結果、「自分らしさ」や「自分が面白いと思えるような仕事のやり方」が見えてくるのです。

 それでも多くの人が、知識や勉強が役に立たないと誤解しているのは、「せっかく身につけた情報が役に立たない」とか、「知識が使えない」ことを実感してしまうからかもしれません。しかし、そのようなことは当然で、情報や知識はあくまで「素材」でしかなく、そこから結論を導きだすのは、自分自身の「考える作業」だからです。

 「最近の新司法試験合格者は、与えられた案件とよく似た事例の判例を検索する能力には長けているが、自分の頭で考えない」とある先輩実務家が嘆いていました。ロースクールで「考える勉強」という名の下に正解を探す訓練ばかりをしてしまった人が実は多いのです。

 通常、私たちは本を読んだり、人の話を聞いたりするとき、「この人はどんなことを言いたいんだろう」と、「理解する」作業をしながら話を受容しています。


 受験勉強などでは「理解よりも記憶」しなければならない場合もあるかもしれませんが、一般の仕事で知識を活用する私たちには、その必要はありません。


 「自分にとって重要」と意識された部分だけが、自然と頭のなかに「記憶」として保存されていきます。


 しかしその「記憶」も、すぐに「考える」という作業で使われなければ、簡単に忘れ去ってしまいます。本で読んだ知識、セミナーで学んだことなどが、そのまま消えていくだけになってしまっている人も多いのではないでしょうか。


 通常、「考える」という作業は、何か解決すべき問題があるときしか、意識してそのための時間を設けません。だからこそ「理解」というプロセスを経たあと、記憶を強化するためにも、あらためて「考える時間」をつくりだしてほしいのです。

 さらに加えると、「表現する」という活動を日常生活に組み込むと、逆算して「考える」作業をイヤでもせざるをえなくなります。


 幸いにも私は、本を書いたり、講演や講義をしたりと、発表の場が仕事のなかにあるため、読んだことを自分なりにまとめてみたり、問題点を考察してみたりする機会に恵まれています。

 仕事でなくとも、たとえばパートナーや友人に話してみるとか、考えたことをノートやプログにまとめるなどして、「表現」を習慣化してしまえば、「考えること」も自然な形で日常へ組み込まれるでしょう。

増田かおる【いきいき子どもが育つまち!】

日本政策学校の講義、26日は「ミスター憲法」とも言われている、弁護士の伊藤真さんでした。立憲主義を言い続けて、周囲が認知するまでにはかなりの時間を要した。慌てず焦らず諦めず、です」。とても良かったです! #松戸市 #松戸市議会

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20150728#1438079741
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20150728#1438079742
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20150130#1422614240
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