Paris authorities advising Parisiens to stay indoors tonight. #parisattack
— Polly Boiko (@Polly_Boiko) 2015, 11月 13
5 metro lines have been shut down (3,5,8,9,11)
— Yulia Shapovalova (@Yulisha) 2015, 11月 13
Parisians offer those who aren't able to get home through police cordons to stay over night at their place #PorteOuverte
— Yulia Shapovalova (@Yulisha) 2015, 11月 13
Taxi drivers turn off the meter and take people home for free. #PorteOuverte #Paris
— Yulia Shapovalova (@Yulisha) 2015, 11月 14
Reports that part of the refugee camps in #Calais jungle have been set on fire. Humanity is lost pic.twitter.com/U1VhdIH1US
— ROSA ZAMBONINI (@ROSAZAMBONINI) 2015, 11月 14
"This is an attack on all of humanity and the universal values that we share." —@POTUS on the attacks in Paris https://t.co/yQThOvrdxZ
— The White House (@WhiteHouse) 2015, 11月 13
Watch @FRANCE24 coverage of #Paris attacks – LIVE online here: https://t.co/G981smVU4p
— CSPAN (@cspan) 2015, 11月 13
Military out in force in Paris, after state of emergency announced. pic.twitter.com/3frKnzDhqq
— ian bremmer (@ianbremmer) 2015, 11月 13
Most important context for tonight's tragedy: Failed states in Afghanistan, Iraq, Libya, Syria & Yemen with no hope of stability.
— ian bremmer (@ianbremmer) 2015, 11月 14
Paris attacks: Video appears to show moment explosions heard at Stade de France https://t.co/ugP2zWi9z5 https://t.co/olASm5MH1Q
— BBC Breaking News (@BBCBreaking) 2015, 11月 13
パリの警察によりますと、13日午後9時ごろ(日本時間の14日朝早く)、パリ中心部のコンサートホール、バタクランで、ロックグループのコンサート中に複数の男らが観客に向けて銃を乱射し人質をとって立てこもりました。
14日午前1時ごろ警官隊が突入し、少なくとも容疑者とみられる2人を殺害しました。BBCは目撃者の証言として、コンサートホールでは、2、3人の若い男が自動小銃を10分から15分の間、撃ち続けたと伝えていて、多数の死傷者が出たとみられています。
このほか、パリのレストランで発砲や、パリ近郊のサッカースタジアムの出入り口付近で爆発があるなどテロとみられる事件が少なくとも6か所で起きました。
パリの検察当局は事件現場で会見し、「一連のテロ事件で合わせて120人以上が死亡した」と述べたうえで、容疑者5人が死亡したと明らかにしました。
また、警察は、別に容疑者がいる可能性も排除できないとして、市民に対して自宅から出ないように呼びかけています。
AFP通信は目撃者の話として、コンサートホールを襲撃した容疑者らがアラビア語で「神は偉大なり」と叫んだという情報や、スタジアムの爆発について自爆テロだったという情報を伝えています。
フランスのオランド大統領は、テロのあったスタジアムでサッカー男子のフランス代表対ドイツ代表の親善試合を観戦していましたが、その後、テレビを通じて「前例のないテロだ」と述べ、非常事態を宣言しました。
このあと、オランド大統領はコンサートホール近くを訪れ、「ここからそう遠くない場所でテロリストは死亡した」と述べ、被害の全容とともに事件の背後関係の解明に全力を尽くす考えを示しました。
一方、パリにある日本大使館によりますと、これまでのところ日本人が爆発や発砲に巻き込まれたという情報はないということです。大使館では引き続き、地元の警察と連絡を取るなどして情報の収集を急いでいます。
フランスの警察では、一連の発砲と爆発は同じグループによる同時テロの疑いがあるとみて捜査しています。
西側メディアが難民キャンペーンを始めた直後から予告されていた「テロ」が仏国で起こった背景 | 《櫻井ジャーナル》
実は、少なからぬ人びとがこうした襲撃を事前に予想していたことも事実。今年9月に中東/北アフリカからEUへ向かう難民を西側メディアは大きく取り上げ始めたが、本ブログでも紹介したように、その中に戦闘訓練を受けたIS(ISIS、ISIL、ダーイシュなどとも表記)のメンバーが潜り込んでいるとする情報が流れていたのだ。ロシア軍の空爆で決定的なダメージを受けたアル・カイダ系武装集団やそこから派生したISの少なからぬ戦闘員がシリアの外へ脱出し、イエメン、ウクライナ、新疆ウイグル自治区、あるいはEUへ向かったとされている。
難民を送り出しているトルコはアル・カイダ系武装集団やISの拠点があり、トルコ政府はシリアのバシャール・アル・アサド政権を倒すためにそうした集団に物資を供給し、兵站ラインを守ってきた。アル・カイダ系武装集団やISを支援しているという点で、トルコはイスラエル、アメリカ好戦派、サウジアラビア、カタールなどと同じだ。
難民騒動の幕開けに疑惑があることも本ブログで伝えた。騒動の「アイコン」としてトルコの海岸に横たわる3歳の子どもの遺体の写真が使われたが、その状態に疑問を感じた人が少なくない。身体が波と直角になっていることが不自然だというのだ。しかも、子どもの父親が難民の密航を助ける仕事をしていて、沈没した船を操縦していたのはその父親にほかならないことも判明する。
アメリカ軍の中枢、統合参謀本部は2001年から03年にかけてネオコン/シオニストなど好戦派の戦略に抵抗していたが、その後、スタッフは好戦派の息がかかった軍人に交代させられてきた。中でも好戦的なのがNATOだが、この軍事組織に「テロ部隊」が存在していることは1990年にイタリア政府が公式に認めた。(この件については拙著『テロ帝国アメリカは21世紀に耐えられない』で触れた。)
イタリアの「テロ部隊」はグラディオと呼ばれているが、この部隊は1960年代から80年代にかけて「極左」を装い、爆弾攻撃を続けていた。いわゆる「緊張戦略」だ。この戦略によってイタリアの左翼勢力は弱体化、治安/監視体制は強化された。
グラディオの源流は1944年にアメリカとイギリスの秘密機関SOとSOEが編成したジェドバラ。この人脈はアメリカの極秘部隊OPCにつながる。OPCは後にCIAの破壊工作部門、つまり計画局(1952年設置)、作戦局(1973年に名称変更)、そして2005年からはNCS(国家秘密局)になった。
OPCは東アジアでも活動、中国の制圧を目指して当初は上海を拠点にしていたのだが、1949年1月に解放軍が北京に無血入城、5月には上海を支配下におき、10月には中華人民共和国が成立してしまう。そうした流れの中、OPCは拠点を日本へ移動させるが、活動の中心は厚木基地だった。
1949年には国鉄を舞台とする怪事件が続発、政府はマスコミを動員して共産党によるテロだと宣伝、労働運動は大きな打撃を受けた。その怪事件とは7月の下山事件と三鷹事件、8月の松川事件だ。その翌年には朝鮮戦争が勃発する。本ブログでも何度か書いたことだが、シャルル・ド・ゴール仏大統領の暗殺未遂事件にもOPC人脈、NATOの秘密部隊が関与した疑いが持たれている。