https://d1021.hatenadiary.com
http://d1021.hatenablog.com

» 「『残酷な天使のテーゼ』に関する一考察」 (連載「パックス・ジャポニカへの道」) | IISIA 株式会社原田武夫国際戦略情報研究所

インターネットなるものが日常生活に入り込むまで、世界は私たちの頭の中で次々に沸き上がる思念に満ち溢れていた。あの人とつながりたい、しかしつながることが出来ない。―――そうした想いにかられた私たちは届かぬ気持ちを言葉に綴り、歌を歌い、絵を描き、踊り、そして共に泣き、笑った。待ち合わせ場所を決めていたのに出会うことがなぜか出来なかったなどというのは日常茶飯事であり、些細な偶然によってすれ違い、あるいは出会うことに人々は自らの宿命と運命を感じ取っていた。それが「オンリー・イエスタデイ(only yesterday)」の実相だったのだ。


そのころから、確かに“奴ら”は存在していた。無理やり世界を「悪と正義」に二分し、揺さぶろうとする“奴ら”だ。小学生の頃、私の趣味は国際情勢に関する新聞記事を切り抜くことだった。出口の無い「東西冷戦」を巡る記事の数々。子供心にその出口の無さに不可思議さと、「それでも出口はあるはず」と想いを巡らせていたことを今、懐かしく想い出す。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20151212#1449917153