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今回の地震では多くの避難所が設置されていますが、当初は物資が届かない避難所があるなど、支援物資の配分が混乱したという指摘が出ています。このため、国は物資の配布を少しでも円滑にしようと、避難所が必要とする物資の情報をタブレット端末を使って把握できるシステムを導入することになりました。
このシステムは東日本大震災の際に岩手県でも導入されたもので、タブレット端末の画面で食糧や日用品など133種類の物資の中から必要なものを選び、数量などを入力します。情報は国や自治体に送られ、これに基づいて各避難所に物資を配布することができます。また、避難所のタブレット端末では物資の配送状況を確認することもできるということです。
システムは27日から段階的に運用が始まるということで、国は、およそ850の避難所にこのタブレット端末を配備することにしています。
政府の兵谷芳康内閣審議官は「これまでは電話で需要を聞き取っていたので、かなりの労力を取られていた。このシステムが機能すれば迅速にミス無く物資を供給できるだろう」と話していました。

山崎製パンはなぜ、災害時の緊急食料支援に強いのか|ニュース3面鏡|ダイヤモンド・オンライン

 14日夜に熊本県で最初に発生した激しい地震から、26日で12日が経過した。被災者に対する支援を巡っては、国は、避難所避難者への支援物資を被災地の要請を待たずに緊急輸送する「プッシュ型支援」を初めて行った。


 しかし、熊本県や地元自治体との連携が上手く取れなかったために、集積地に物資が必要以上に積み上がったり、配布の「公平さ」ばかりを重視したりした結果、必要なものが必要な時に避難者に行き渡らないなど官主導による支援体制の課題が浮き彫りになった。


 こうした混乱のなか、自社の工場も地震で被害を受けたにもかかわらず、被災者への緊急食料の支援などでそつのない対応を見せた企業がある。製パン業国内最大手の山崎製パンだ。

 自動車や電機など大手製造業では今回、熊本や大分の現地部品工場が被災し、完成品の生産にも支障が生じるという事態が「想定外」の広がりを見せた。


 さらに、製パン他社が熊本市やその周辺に構える工場は、操業再開が遅れているという。こうしたもたつきを横目に、山崎製パンが素早い復旧を果たせたのはなぜか。


 1つは、日頃から取り組んできたハード・ソフト両面での危機管理への準備が、「想定通り」に生きたことが挙げられる。


実は、山崎製パンは今から40年以上も前の1973年7月、当時のパン工場としては国内最大・最新鋭であった武蔵野工場(東京都東久留米市)を失火により全焼するという苦い経験をしている。人的被害は奇跡的になかったものの、大手スーパー各社などから注文を受けた大量の製品が生産・供給できなくなるという、会社存亡の危機に直面した。


 このとき同社は、武蔵野工場の受注分を関東周辺の各工場が昼夜フル回転することによりカバーし、火災から3日目には代替生産を軌道に乗せて、通常通りの受注と供給が出来るようにしてしまった。焼けた工場建屋も直ちに再建に取り掛かり、同年12月には再稼働を果たすという回復ぶりをみせた。


 この体験により、同社には「どんな試練や困難に遭遇しようとも、注文のあった製品をお客様に届けることに全力を挙げる、という考えが全社に根付いた」(山崎製パンOB)。


 86年1月に関西ヤマザキを吸収合併して国内製パン業界でシェア4割というガリバー企業となってからは、太いパイプを持つ農林水産省の意向も受けて、「食品企業として被災地への緊急食糧の供給は責務」(飯島延浩社長)と標榜するようになった。


 それが文字通り生きたのが95年1月の阪神・淡路大震災であり、2011年3月の東日本大震災であった。阪神・淡路大震災の時には、兵庫県と神戸市から食料供給の要請を受けて、大阪府吹田市松原市にある自社工場の稼働を、全社を挙げてバックアップし、1月末までに100万個の寄付分を含む計270万個の菓子パンを、自衛隊の輸送協力を得ながら被災地に供給した。


 また、東日本大震災の際には、宮城県柴田町にある同社の仙台工場が地震によるライフラインの途絶によって停止。関東地区の各工場も計画停電や一部原材料の不足などの影響で安定した生産が難しいというなか、無傷であった中京以西の各工場がただちに食パンや菓子パンを、またグループ会社もおにぎりを増産して、政府並びに各自治体から求められた緊急救援食糧を支援物資の集積所や避難所に届けた。


地震発生から1ヵ月間に山崎製パンがグループ会社分を含めて被災地に提供した食料は、パンが864万個、おにぎりが244万個、菓子類が46万個に上ったと同社の資料は語る。

「火事場の馬鹿力」といっては例えは悪いが、「普段から飯島社長が右を向けといったら、社員みんなが一斉に右を向くという軍隊のような会社なので、非常時の組織力、結束力は極めて強い」(同業他社社員)。

 そして、大きな災害を経験するほど信頼関係も厚くなっていく。一部の市場関係者は「熊本工場の速やかな復旧が果たせたことにより、南九州地域での山崎製パンのシェアはさらに数ポイント上がるのでは」と指摘している。

山崎製パンの強みは、こうした修羅場の経験に基づくタフさだけでない。素早い復旧を果たせた2つめの理由が以下の点になるのだが、同社の充実した自社インフラ網も天災などのリスクに対する冗長性を高めるのに役立っている。


山崎製パンが国内に構えるパン工場は、北は札幌工場(恵庭市)から南は今回地震に遭った熊本工場まで、直営だけで計25拠点に上る。


 さらに資本参加や生産委託提携を結んでいるローカルの製パン会社もあり、これらの生産拠点から自家用トラックによる網の目のような自社物流網が伸びて、顧客先である大手スーパーやコンビニなどに納品している。工場間で製品を相互に融通する社内トラック便も走っている。


 前述した通り、エンジニアリング子会社まで抱えて製パン設備などもすべてではないが、内製している。


 業務のアウトソーシングやサード・パーティー・ロジスティクス(3PL)がすでに一般化している国内製造業のメインストリームを考える時、山崎製パンがみせる「自前主義」と「保守性」は株価を押し下げかねない要因の1つではあるが、こうした一気通貫の社内機能が柔軟かつ機動力のある緊急対応をもたらしているのもまた、事実である。

 14年2月に首都圏・甲信越を襲った大雪の際、多くのクルマが立ち往生した中央道談合坂サービスエリアで、納品時間に間に合わなかった山崎製パンの配送トラックが積荷のパンや団子などを無料で配り、その写真とともに短文投稿サイト「ツイッター」で称賛されたニュースを覚えている向きも多いだろう。


 実際にはこの美談は、会社としてあらかじめマニュアルなどで定めた対応ではなく、納品指定時間を大幅に過ぎ、工場に持ち帰っても廃棄処分の道しか残されていなかったことから本社の承認を得たうえ、食料に困っているサービスエリアのドライバーたちに特別に配布したというのが真相だ。

 もちろん、山崎製パンの「自前主義」は、株主が求める経営の効率化という面からみると課題が多い。


 赤字続きの「デイリーヤマザキ」を筆頭に、飯島社長の「強い意志」(前出OB)で続けている不採算事業も散見される。


 経済合理性と事業運営の冗長性という半ば相反する要素が、絶妙なバランスのうえに成り立っているのが、「リスクに強い」とされる山崎製パンの姿なのである。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20160425#1461580637
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20160420#1461148934
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20160420#1461148946


黒田総裁は、金融機関に振り込まれる義援金などは「一般の預金と同様に金利がマイナスになるわけではなく、当然、その全額が被災地の方々や支援団体等に届けられる」と指摘。


金融機関は資産・負債を全体として考えるため、「特定の預金と日銀当座預金をひも付けて考えるのは必ずしも適当ではない」とし、義援金など特定の預金をマイナス金利適用から除外する「例外的な措置が必要とは考えていない」と語った。


金融機関収益に与える影響については、当座預金残高を適用金利に応じて3階層としていることで、「金融システム全体として、マイナス金利の適用は極めて限られたものにとどまる」と説明。


超低金利環境が長期化すれば、利ざや縮小によって「金融機関収益に影響が出るのはその通り」としたが、2%の物価安定目標の達成によるデフレ脱却や経済の持続成長の実現によって「金融機関収益は抜本的に改善され、上昇していく」と語った。


地震の影響については「地元経済・金融面にどのような影響を及ぼすか鋭意調査を進めており、引き続き調査を進めていきたい」と述べた。

麻生財務相は、来年4月に予定している消費増税の判断に関連して、熊本地震が大震災に当たるかどうかについて「今はそういう段階ではない。大震災として対応するつもりはない」と述べた。また地震の影響がさらに大きくなる可能性について、現時点でそれを否定することはできないとの認識もあわせて示した。


熊本市中央区にある「水前寺成趣園」は、肥後藩の初代藩主ゆかりの日本庭園で、国の名勝と史跡に指定されています。庭園を管理する出水神社によりますと、庭園にある池は湧き水が出て、ふだんは深さが50センチほどありますが、地震の最初の揺れが起きた翌日の今月15日にほぼ干上がっているのが見つかったということです。
その後、非常用の給水ポンプで井戸水を入れ、今は面積の2割ほどに水がありますがまだ広い範囲で池の底が見えています。
出水神社の岩田徹宮司は「池の水が干上がったのは初めてで本当にびっくりしました。なんとかまた湧き水が湧き上がってほしい」と話していました。