櫻井よしこがダメなのは、言ってることが非論理的で思い込みが強すぎる。右派人士はたいていそうで、ソコが欠点で怖い。論理的な右翼ならなにも否定はしない。ま、論理矛盾でそういう右翼はいないが⇒櫻井よしこと日本会議が震災を改憲主張の道具に… https://t.co/oxT95D9UBx
— おくあき まさお (@tuigeki) 2016年5月7日
左翼の「自虐的」「反日的」言説に惑わされてその反対が保守だと思い込んでいる。
西郷隆盛を源流に持つ頭山満以来の伝統的右翼は自由民権運動に参画した。
我が国では彼らのことを国士と呼んでいる。
そして、櫻井よしこらが唱える「愛国」を「愛国は悪党の最後の隠れ蓑」と指弾したのだ。
自由民権運動 - Wikipedia
頭山満 - Wikipedia
西南戦争の翌年の明治11年(1878年)5月14日、大久保利通が暗殺された(紀尾井坂の変)。西郷討伐の中心人物の死を受け、板垣退助が西郷隆盛に続いて決起することを期待して、頭山は高知に旅立つ。しかし、板垣は血気にはやる頭山を諭し、言論による戦いを主張する。これをきっかけに自由民権運動に参画した頭山は、板垣が興した立志社集会で初めて演説を体験し、植木枝盛ら民権運動家と交流を結ぶ。
政治運動に命をかけるという人物モデルにもなり、板垣退助など自由民権運動の活動家や、明治社会主義者の一部にも「志士」という理想像が共有されていた。
国家のために身命をなげうって尽くす人物。憂国の士。
近頃、民主主義をはきちがえて、自分の、または少数団体の欲望を満たすために、他の多数の迷惑を顧みず、わがまま勝手を振る舞う心得違いのものがだいぶ増えたようだ。こうゆう不心得ものに、正邪善悪の物差しを教え込むことが、民主主義教育の一大使命である。『民主政治読本』(1947年)、pp.155-156
「彼等は常に口を開けば直ちに『忠愛』を唱へ、恰も忠君愛国は自分の一手専売の如く唱へて居りますが、その為す所を見れば、常に玉座の蔭に隠れて政敵を狙撃するが如き挙動を執って居るのである(拍手おこる)。彼等は、玉座を以て胸壁と為し、詔勅を以て弾丸に代へて政敵を倒さんとするものではないか。此の如きことをすればこそ、身既に内府に入って未だ何も為さざるに当りて、既に天下の物情騒然として却々静まらない。…又、その内閣総理大臣の地位に立って然る後政党の組織に着手するといふが如きも、彼の一輩が如何に我憲法を軽く視、其精神のある所を理解せないかの一斑である」
憲政擁護運動(けんせいようごうんどう)とも呼ばれている。