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遠藤周作 - Wikipedia

カトリック

フランスへ留学

『沈黙』をはじめとする多くの作品は、欧米で翻訳され高い評価を受けた。グレアム・グリーンの熱烈な支持が知られ、ノーベル文学賞候補と目されたが、『沈黙』のテーマ・結論が選考委員の一部に嫌われ、『スキャンダル』がポルノ扱いされたことがダメ押しとなり、受賞を逃したと言われる。

#フランス留学派

沈黙 (遠藤周作) - Wikipedia

『沈黙』(ちんもく)は、遠藤周作が17世紀の日本の史実・歴史文書に基づいて創作した歴史小説

イエズス会の高名な神学者であるクリストヴァン・フェレイラが、布教に赴いた日本での苛酷な弾圧に屈して、棄教したという報せがローマにもたらされた。フェレイラの弟子セバスチャン・ロドリゴとフランシス・ガルペは日本に潜入すべくマカオに立寄り、そこで軟弱な日本人キチジローと出会う。

逃亡するロドリゴはやがてキチジローの裏切りで密告され、捕らえられる。

長崎奉行所ロドリゴは棄教した師のフェレイラと出会い、さらにかつては自身も信者であった長崎奉行井上筑後守との対話を通じて、日本人にとって果たしてキリスト教は意味を持つのかという命題を突きつけられる。

夜明けに、ロドリゴ奉行所の中庭で踏絵を踏むことになる。すり減った銅板に刻まれた「神」の顔に近づけた彼の足を襲う激しい痛み。そのとき踏絵のなかのイエスが「踏むがよい。お前のその足の痛みを、私がいちばんよく知っている。その痛みを分かつために私はこの世に生まれ、十字架を背負ったのだから」と語りかける。


こうして踏絵を踏み、敗北に打ちひしがれたロドリゴを、裏切ったキチジローが許しを求めて訪ねる。イエスは再び、今度はキチジローの顔を通してロドリゴに語りかける。「私は沈黙していたのではない。お前たちと共に苦しんでいたのだ」「弱いものが強いものよりも苦しまなかったと、誰が言えるのか?」


踏絵を踏むことで初めて自分の信じる神の教えの意味を理解したロドリゴは、自分が今でもこの国で最後に残ったキリシタン司祭であることを自覚する。

ペトロ - Wikipedia

『マタイによる福音書』、『マルコによる福音書』によればペトロはガリラヤ湖で弟アンデレと共に漁をしていて、エスに声をかけられ、最初の弟子になった。

ペトロは弟子のリストでも常に先頭にあげられており、イエスの問いかけに弟子を代表して答えていることなどから、イエスの存命中から弟子たちのリーダー的存在であったことがうかがわれる。また、主イエスの変容(姿が変わって神性を示した出来事)をペトロはヤコブヨハネの選ばれた三人だけで目撃している。

エスの受難においてペトロが逃走し、イエスを否認したことはすべての福音書に書かれている。

外典である『ペトロ行伝』にも見られる聖伝ではローマへ宣教し、ネロ帝の迫害下で逆さ十字架にかけられて殉教したとされている。伝承では67年とされる。また同じ伝承によると、ペトロが迫害の激化したローマから避難しようとアッピア街道をゆくと、師のイエスが反対側から歩いてくる。彼が「主よ、どこへいかれるのですか?(Domine, quo vadis?)」と問うと、イエスは「あなたが私の民を見捨てるのなら、私はもう一度十字架にかけられるためにローマへ」と答えた。彼はそれを聞いて悟り、殉教を覚悟してローマへ戻ったという。このときのペトロのセリフのラテン語訳「Quo vadis?(クォ・ヴァディス)」(「どこへ行くのですか」の意)はよく知られるものとなり、1896年にはポーランドノーベル賞作家ヘンリック・シェンキエヴィチがローマにおけるキリスト教迫害を描いた同名小説を記し、ハリウッドでも同名タイトルで映画化されている。

最後の晩餐のあと、キリストはペテロに「あなたは鶏が鳴く前に3度、私を知らないというだろう」と予言し、ペテロは「絶対にありえない」と否定するが、翌日キリストが連行され、ペテロがその様子をうかがっていると、周囲から「おまえもキリストの弟子だろう」と詰め寄られると「違う」と否認してしまう。ペテロは再三問われ、3度目に否認した直後、鶏が雄たけびを上げ、その声を聞いてペテロはキリストの予言を思い出し、涙にくれる。

クォ・ヴァディス - Wikipedia

ペトロは驚き、ひざまずき、尋ねた。


Quo vadis, Domine? (主よ、何処にか行き給う/主よ、どこに行かれるのですか)


キリストは言う


汝、我が民を見捨てなば、我、ローマに行きて今一度十字架にかからん/そなたが私の民を見捨てるなら、私はローマに行って今一度十字架にかかるであろう。


ペトロはしばらく気を失っていたが、起き上がると迷うことなく元来た道を引き返した。そしてローマで捕らえられ、十字架にかけられて殉教したのである。


ペトロは死んだが、それはキリスト教の発展の契機となり、彼はカトリック教会において初代のローマ法王とされている。

パウロ - Wikipedia

正教会カトリック教会はパウロ使徒と呼んで崇敬するが、エス死後に信仰の道に入ってきたためイエスの直弟子ではなく、「最後の晩餐」に連なった十二使徒の中には数えられない。

パウロにおいては罪の意識が非常に強いことがまず指摘できる。彼は心の欲する善を行うことができずに、かえって心の欲せざる悪をなしてしまうことに悩んだ。そのため彼の思想では人間の無力さが強調される。このような人間は自力では救われることがないために、神の恩寵によってしか救われるないし、パウロはイエスの死こそ神の自己犠牲であると考える。この神の自己犠牲によって人間は罪から解放されるのであり、これを信じ、イエスの教えを実践することで新しい生を迎えることができるという。

パウロは、教会と国家を分離し、国家に対するキリスト教服従を説くが、従うべき対象として「皇帝」ではなく、神によって認められた「権威」を挙げている。パウロローマ帝国の支配を無条件に肯定しているともいわれる。

池田信夫 blog : ニーチェのパウロ主義批判

すでにキリスト教という言葉が、一つの誤解だ。突き詰めていけば、キリスト教徒はたった一人しかいなかった。そしてその人は十字架につけられて死んだのだ。[…]以後「福音」と呼ばれたものは、この人物が身をもって生きたものの反対物だった。(『反キリスト者』39節)

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20160827#1472294486
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20160824#1472034959
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20160822#1471862868
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20130121#1358781241