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「民族」という始まりー1 : 子安宣邦のブログ -思想史の仕事場からのメッセージ-

 津田の「国民思想」の語りは『文学に現はれたる我が国民思想の研究』の書名がいうように「わが文学」の歴史的展開による国民思想の語りである。ここでいう「文学」とは文芸から美術・音楽・演芸をも含む広い意味におけるものである。この広意における「文学」の歴史的展開を通して「国民思想」を追求するという形を津田の書はとる。

 「日本の文」の始まりを日本文学史はどのように語るのか。だが既成の「国文学史」には私が期待するような「始まり」の記述はない。はっきりと「始まり」の記述をもっているのは、私が知るかぎり小西甚一の『日本文芸史』だけである。

 小西の「日本」あるいは「日本の文」の始まりの語りをあらためて読み直して、これが異質の排除からなる「ヤマト系文芸」の始まりの記述であることを知って驚いた。異質の排除からなる「ヤマト系文芸」をいうことは、「ヤマト」というアイデンティティの成立を前提にしている。「日本」「日本の文」の始まりを問う小西は、すでにはじめからその答えをもっていたのである。「日本」という自己同一性の原初型としての「ヤマト」を。この「ヤマト」を定義して小西はこういっている。
「わたくしの日本文芸史がヤマト系に即して組織されることは、前に述べたとおりであるが、さらにヤマト系ということを定義するならば、それは「弥生式の土器で代表される文化を形成し完成させた民族とその子孫がもつ文芸であり、現代日本語とその古形によって制作・享受されるもの」というべきである。」(三「ヤマト系文芸と非ヤマト系文芸」)