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村上春樹氏がノーベル賞を取れない理由 大手紙が指摘 - ライブドアニュース

村上春樹のノーベル賞落選が「既定の事実」だったホントの理由

ここでその根幹の理由について簡単に記しておけば、その文学的特徴として指摘されてきた村上春樹の文学は、ポスト・モダン文学だ」という評価と関係しているのだが、明治の20年代に成立したとされる日本近代文学の根底に存在してきた「人間(個人)は、いかに生きるべきか」という問い、それはまた社会的・歴史的存在である人間の生き方を問うということでもあったが、村上春樹の文学にはそれが欠如しているのではないか、ということである。つまり、高度に発達した資本主義社会(都会)に生きる人間の「喪失感」や「疎外感」、「孤独感」、「絶望感」を描くことに成功し、若者を中心に世界中に多くの読者を獲得した村上春樹であるが、ではそのような「喪失感」や「孤独感」などを内に抱いて生きる若者たちに対して、村上春樹の文学はどんな「生きる指針・ビジョン」を示してきたのか、ただその文学世界に存在するのは現状を「消極的」に追認するだけのものだったのではないか、ということである。


 1994年にノーベル文学書を受賞した大江健三郎は、そのような村上春樹の文学的傾向について「村上春樹の文学の特質は、社会に対して、あるいは個人生活のもっとも身近な環境に対してすらも、いっさい能動的な姿勢をとらぬという覚悟からなりたっています。その上で、風俗的な環境からの影響は抵抗せず受身で受けいれ、それもバック・グラウンド・ミュージックを聴きとるようにしてそうしながら、自分の内的な夢想の世界を破綻なくつむぎだす」(傍点原文「戦後文学から今日の窮境まで」86年)と喝破していたが、この大江による(初期の)村上春樹文学の評価は、未だに有効性を失っていないと私は思っている。


 村上春樹自身も、このような現在もなお有効な大江評価と同じようなことを、河合隼雄との対談『村上春樹河合隼雄に会いにいく』(96年刊)の中で語っていた。村上春樹は、1995年に起こった阪神淡路大震災オウム真理教による地下鉄サリン事件を契機に、大江が言う「(社会に対して)能動的な姿勢をとらぬという覚悟」と同じ意味の「デタッチメント(社会的無関心)」であった文学傾向を転換させ、今後は「コミットメント(社会との関わり)」を主題にした作品を書く、と宣言していたのである。しかし、試みは壮大だったが結果は「失敗作」となった『1Q84』(1〜3 09〜10年)や、これもまた多くの批評家に「失敗作」と断じられた『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』や連作集『女のいない男たち』を見ると、60代になって村上春樹はまた初期の「デタッチメント」的作品に本卦還りしてしまっていて、「転換」は実現しておらず、その「迷走」ぶりこそノーベル文学賞から遠ざけられた原因になっているのではないか、と思わざるを得ない。


 また、「エルサレム賞」の受賞式でパレスチナ(弱者)とイスラエル(強者)との争いが絶えないイスラエルに出掛けて行き、「壁=システム・権力(強者)」と「卵=個人(弱者)」との関係において、一人の作家として自分は「卵(弱者)」、つまりパレスチナの側に付くと言いながら、その後パレスチナイスラエルの紛争(戦争)に関してどんな発言もせず行動もしない在り方や、東日本大震災福島第一原発の爆発事故)直後の「カタルーニャ国際賞」の受賞スピーチ「非現実的な夢想家として」の中で、それまでの反核運動を否定するような「我々日本人は核に対する『ノー』を叫び続けるべきだった」と断じながら、その後のフクシマの事態や原発再稼働問題について沈黙を守り続けてきたその「核」に対する姿勢も、村上春樹「言行不一致」としてノーベル文学賞(候補)作家に相応しくないと判断されたのではないか、と思わざるを得ない。今回、1986年に起こったチェルノブイリ原発の事故について発言し続けてきたアレクシェービッチ受賞者になった理由を忖度すると、余計そのように思う。


 更には、拡大する「貧富の格差」など様々な問題を抱える「日本」の作家でありながら、その作品世界が「日本の現実」に根差していないのではないかという問題もある。日本初のノーベル文学賞授賞者になった川端康成の文学が、あくまでも遅れて近代化した日本の自然と芸術(文化)との関係を考えざるを得なかった日本人の苦悩と哀しみを主題にしていたことを思い起こすと、村上春樹文学の「無国籍性」(世界文学の性格を持つ、とも言えるが)こそ欠点=弱点なのではないか、思わざるを得ない。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20151024#1445682869(風土)

#ポストモダン #フランス留学派

くまニュース : 「もしも村上春樹が『ペンパイナッポーアッポーペン』を書いたら」ツイートが反響

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20161013#1476357151

ディランさん 受賞決定後初ライブで文学賞を語らず | NHKニュース

アメリカの歌の伝統に新たな詩的表現を生み出したとして、ことしのノーベル文学賞の受賞者に選ばれたボブ・ディランさんは、今も年間100回ほどライブを行っています。


アメリカ・ラスベガスにあるホテルの会場では、現地時間の13日午後8時(日本時間の14日正午)から受賞決定後、初めてとなるライブが行われました。今回のライブで、ディランさんはおよそ3000人の観客を前に1時間40分にわたって代表作「風に吹かれて」や「廃墟の街」など10曲余りを歌ったということです。
しかし、複数の観客によりますと、ディランさんは、ライブでは歌うだけで、ノーベル文学賞の受賞決定についてのコメントは一切なく、あいさつや曲と曲の間の雑談さえなかったということです。