三笠宮さま ご逝去 昭和天皇の弟で100歳 | NHKニュース
三笠宮さまは、軍人として太平洋戦争を経験し、戦後は歴史研究に力を尽くされました。三笠宮さまは、大正4年、大正天皇の四男として誕生されました。昭和天皇の弟にあたられます。戦時中は、陸軍の参謀として中国の南京に赴任したほか、大本営の参謀なども務められました。のちに、著書の中で、「今もなお、良心のかしゃくにたえないのは、戦争の罪悪性を十分に認識していなかったことです」などと述べられています。
戦後は歴史研究者の道を選ばれました。東京大学の研究生として中東の古代史を専攻し、長年にわたって東京芸術大学などで教べんを執られました。電車で大学に通われるなど、気さくな人柄で親しまれました。日本レクリエーション協会の総裁を務め、スポーツやレクリエーションの発展にも力を尽くされました。また、研究をきっかけにトルコの人たちと交流を深めるなど、国際親善にも努められました。
5人のお子さまが誕生しましたが、三男の高円宮さま、長男の※寛仁さまに続き、おととし6月には次男の桂宮さまが亡くなられ、3人の男のお子さま全員をなくされました。去年12月に100歳になり、ことしの新年一般参賀でも元気な姿を見せられていました。
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20150521#1432204663
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宮内庁長官 天皇陛下が訃報聞かれた経緯説明 | NHKニュース
宮内庁の山本長官は、27日行われた定例の記者会見で、天皇陛下が、おじの三笠宮さまの訃報を聞かれた際の経緯などについて説明しました。
それによりますと、天皇陛下は、朝食を終えて皇后さまと新聞を読んでいた時、三笠宮さまの容体が急変し、危篤になられたという連絡を受けられました。そして、両陛下が、すぐに病院に向かえるかどうか検討されているうちに、三笠宮さまが亡くなられたという知らせが届いたということです。
両陛下は「家族での別れの時間もあるだろう」と考え、病院を訪ねることは控えてご遺体が三笠宮さまのお住まいの宮邸に戻ったあと、弔問に向かうことを決められました。
これを受けて、両陛下は夕方予定されていたフィリピンのドゥテルテ大統領との会見を取りやめられました。
山本長官は、「三笠宮さまには、ぜひ101歳の誕生日を迎えて頂きたいと思っていました。戦前から戦後長きにわたって、さまざまな皇室の活動やオリエント学の研究活動などにいそしみ、大きな業績をあげられた殿下でした」と述べました。
天皇皇后両陛下は、午後5時前、弔問のため東京・元赤坂の赤坂御用地にある三笠宮さまのお住まいに向かわれました。車に乗った両陛下は、沈痛な表情で、赤坂御用地の門を入られました。
天皇陛下 会見取りやめでフィリピン大統領にメッセージ | NHKニュース
天皇陛下は、27日夕方予定されていたフィリピンのドゥテルテ大統領との会見を取りやめたことを受けて、大統領の宿泊先のホテルに宮内庁の秋元式部官長を遣わして、メッセージを伝えられました。
この中で、天皇陛下は「本日、大統領をお迎えするはずでしたが、三笠宮殿下の薨去(こうきょ)のために大統領にお会いすることがかなわず、残念に思います。今回、お会いできなかったことは残念に思いますが、大統領の日本での滞在が実り多いものであったことを希望します」と伝えられたということです。
これに対してドゥテルテ大統領は「事情はよく理解しました。天皇陛下の深い悲しみを共有するとともに、心から哀悼の意を表します。今回はお会いできませんでしたが、いつか天皇陛下とお会いする機会があると確信しています」と述べたということです。
三笠宮の言葉「偽りを述べる者が愛国者とたたえられ、真実を語る者が売国奴と罵られた世の中を、私は経験してきた。……過去のことだと安心してはおれない。……紀元節復活論のごときは、その氷山の一角にすぎぬのではあるまいか」建国記念日の創設に反対した。拙著『「諸君!」「正論」の研究』岩波
— 上丸洋一 (@jomaruyan) 2016年10月27日
「43年夏のある日、広東の第23軍(田中久一司令官)司令部での出来事だ。突然、田中司令官から、司令部の尉官以上の全将校と全軍属に、司令部の大広間に集合せよ、との命令があった。 https://t.co/9D7jQX69QX
— シン・コタツ (@sangituyama) 2016年10月27日
「何事だろうと集合すると、総司令部から若杉参謀が広東に来ていて、いまから訓示を与えるというのだ。若杉参謀が入ってきたが、はじめは、三笠宮ということがわからなかった。しかし、話が進むにつれて、三笠宮だということがみんなにわかってきた」
— シン・コタツ (@sangituyama) 2016年10月27日
「三笠宮は、はじめから卓をたたき、声が震えるほどの激烈な口調である。
— シン・コタツ (@sangituyama) 2016年10月27日
『軍は日支親善を説いたり、東洋平和をいうが、中国民衆に対して、あのように暴れいをすることは何事であるか』『本来の趣旨ではなく、まったく逆のことをやっている。お前たちが悪い。反論のある者は遠慮なく申し出てくれ』
三笠宮も声を張り上げた。「日本軍が皇軍と称するにもかかわらず、戦場での実際の態度はどうだ。略奪、暴行、放火など、最も皇軍名に反する行為をやっておるではないか。こんなことで支那事変は解決するはずがない。直ちにこうした過ちを正し、真の皇軍に徹することこそが支那事変を解決する鍵なのだ」
— シン・コタツ (@sangituyama) 2016年10月27日
三笠宮様は、陸軍大尉として1943年(昭和18年)1月から翌1944年(昭和19年)1月まで南京の支那派遣軍総司令部に勤務。その三笠宮様が戦後ご自分の著書の中で述べられたお言葉。 pic.twitter.com/n0XBYtyz37
— 徳永みちお (@tokunagamichio) 2016年10月27日
戦後、三笠宮様は東京大学文学部の研究生となり歴史学を学ばれた。1950年代の紀元節の復活への動きに対して、考古学者・歴史学者としての立場から、神武天皇の即位は神話であり史実ではないとして強く批判し、積極的に紀元節復活反対の論陣を張った。 pic.twitter.com/gLxzsewwnb
— 徳永みちお (@tokunagamichio) 2016年10月27日
国家神道も皇国史観も間違いではあるが、天皇家は「神々の宗教」を守り伝えてきた。
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わがくには藭のすゑなり藭まつる昔のてぶりわするなよゆめ
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20161026#1477478555
#知識人#左翼#フランス留学派#神選国家#イスラエル十支族#ユダヤ二支族#南北朝#大和朝廷
安倍はなにを言うかね、てめえのじいさんは満州官僚だったじゃん。「反西欧」を裏切ったのは昭和天皇でしょ。三笠宮は責任感じてたんじゃない。 https://t.co/MInkZSzFLF
— シン・コタツ (@sangituyama) 2016年10月27日
われわれはアジアの民であり、西欧とは違う原理があり、しかし戦後民主主義は大切だと思っていたのが三笠宮なんじゃない。それは想いを込めてオマージュしますよ。 https://t.co/XO4do3F7Q5
— シン・コタツ (@sangituyama) 2016年10月27日
Philippines turns back on US and pivots to Asia https://t.co/gMEeXF1Bv7
— RT (@RT_com) 2016年10月27日
フィリピン大統領「米との軍事演習継続は困難」 | NHKニュース
フィリピンのドゥテルテ大統領は27日横浜市にある海上保安庁の施設を訪れ、訓練を視察しました。
このあとドゥテルテ大統領は記者団に対して、アメリカとの合同軍事演習については、「続けることは難しい」と述べたうえで、「アメリカは私たちをひもでつながれている犬のような扱いをする」と不快感をあらわにしました。
そのうえで日本との合同演習については「もし日本が望めば、フィリピンの領海内であれば行いたい」と述べました。一方、先週の中国訪問については、「軍事的な話はしていない。経済の話をしただけだ」としたのに加え「南シナ海の問題についても話していない」と述べました。
本郷3丁目角のマックがつぶれたのは、高校生のとき願書を取りに行ったときにもあった店なのでノスタルジーを覚えましたが、こんなアメリカの場末みたいなことやっていると日本マクドナルド全体を危ぶむ思いがよぎりました。これでは・・・
— Ken ITO 伊東 乾 (@itokenstein) 2016年10月27日
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20160929#1475145630
「菊のタブー」を解く 三笠宮家 母と娘「愛と憎しみ」の10年(週刊現代) | 現代ビジネス | 講談社
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20150618#1434624877
皇族減少「大きな課題」 宮内庁長官、危機感表明 - 共同通信 47NEWS
三笠宮さまが逝去されたことについて、宮内庁の山本信一郎長官は27日午後の定例記者会見で、皇族の減少がさらに進んだ現状に触れ「そういった問題が現在の皇室には存在し、大きな課題」との危機感を示した上で「内閣でも検討いただいている状況」と述べた。三笠宮さまが亡くなり、皇位継承資格がある皇族は4人となった。
皇室制度を巡り、政府は天皇陛下の生前退位の制度化へ向けた議論を優先。「女性宮家」創設など、過去の政権が検討してきた皇族減少への対応の議論は後回しにする「二段構え」で臨んでいる。