どうでもよいけど、大学で最も存在意義が問われそうなのはガチの人文系ではなく、社会「科学」系のうちゆるふわのもの(人文系でこうした性格のあるものも入るかも)ではないかと感じるこの頃。
— MMatsunaka (@mana613) 2017年6月2日
政治学も「社会科学のゆるふわ系」と言われかねない側面はあるからな〜
— Toru Oga / 大賀哲 (@toruoga0916) 2017年6月3日
法学の人が政治学を下に見るのはメンタリティとしてまあわからなくもないんですよね(「条文も判例もない世界で何言ってるんだ」という理屈ですかね)。ただもっと内在的に深刻な問題があるような気もしています。https://t.co/T9lfBWCVUG
— Toru Oga / 大賀哲 (@toruoga0916) 2017年6月3日
たとえば最近はやりの「社会学批判」言説。その個別内容の当否はさておき、ここで言われてるような批判ってそっくりそのまま政治学にも当てはまるし、安穏としてはいられないと思うのですよね。https://t.co/34G2RR6IQf
— Toru Oga / 大賀哲 (@toruoga0916) 2017年6月3日
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20170603#1496486671
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20170602#1496400398
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20170602#1496400399
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20170528#1495968376
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20170504#1493895459
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20170420#1492684778
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20130428#1367155252
サンクトペテルブルク大学で社会学を学び、同大の社会学教授となる。政治分野にも進出し、ロシア皇帝を支持する保守派によって3回投獄された。ロシア革命に参加。アレクサンドル・ケレンスキー政権において大臣になる。しかしボリシェヴィキ政治を批判し、身の危険を感じ、1922年にアメリカに亡命。
ボリシェヴィキはメンシェヴィキや社会革命党に比べ少数派であったが、人事と要職を握ったので「多数派」を名乗った。暴力革命を主張し、徹底した中央集権による組織統制が特徴である。その特徴は、そのまま後身であるソビエト連邦共産党へと引き継がれた。
政治家や官僚を「いい人」かどうかで評価するのは馬鹿げている。政策立案、実行でどのような役割を演じたかで評価すべきなのは当然。大体の政治家や官僚は、直接会って話をすれば、話の面白いいい人達である。またいい人を演じるのも得意な人が多い。それでも政策がメタメタなら普通の人にはただの迷惑
— 斉藤 淳 (@junsaito0529) 2017年6月4日
「話の面白い」人も「いい人を演じるのも得意な人」も「政策がメタメタ」な人も「いい人」ではない。
これ大事。政治家や官僚は、ワルの方が、良い仕事をする。理由は簡単。ワルに騙されない、出し抜かれない。目標の実現に向け、粘り強く努力できる。「いい人」には、それらができない。
— 玉井克哉(Katsuya TAMAI) (@tamai1961) 2017年6月4日
「良い仕事をする」なら「ワル」ではない。
「それらができない」なら「いい人」ではない。
#東大先端研#行政法学者
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20170506#1494067510
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20161228#1482922183
プラトンは、ある人が「善い」ということは「善を知ること」であり、逆に悪とは「善を知らないこと」であるという主知主義を展開した。そして、彼は哲学者の目標は感覚世界の背後にある実体であるイデア、そして最終的には善のイデアを見る・知ることであるとした。イデアを知るということはものの真実のあり方、性質を知るということであり、善のイデアを見る・知ることはとりもなおさず「善を知ること」であった。したがって、彼は、善のイデアを知った=善なる哲学者は最も物事を知り、知恵ある善き統治者たりうるとし、哲学者を王とする哲人王の思想を展開した。
また彼らは、『国家』における「哲人王」と同じく、幾何学・天文学を含む数学諸学科などの予備学を修めた上で、雑多なものから一なる形相(イデア)を導き出していく能力を養われ、また、諸天体が神々の「最善の魂」の知性(ヌース)によって動かされていることを理解して「敬神」の心を持ちつつ、国制・法律の目的である徳・善を追求・護持していける者であることが求められる。
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20170602#1496400398
Let us allow ourselves to be humbly led by the Holy Spirit in order to avoid taking the wrong road and closing our hearts.
— Pope Francis (@Pontifex) 2017年6月4日