「年収4千万・退職金1億」最高裁判所エリートの羨ましすぎる境遇 : https://t.co/fn8gvVkg1i #現代ビジネス
— 現代ビジネス (@gendai_biz) 2017年6月10日
最高裁事務総局での勤務経験のある元裁判官は、最高裁人事の実態についてこう語った。
「内部から昇格して最高裁入りする裁判官の多くは、若い頃に事務総局での勤務経験がある。しかも協調性があって、上司に楯突いたりしない。素直で、上司や同僚と仲良くやっていける人が多い。
だから、裁判部門に出たとしても、直ぐに呼び戻され、事務総局でのいろんな仕事を通して、局の幹部とつながっていく。
誰しも、知らない人より、よく知っている人のほうが登用しやすいために、『お友達人事』で引き上げられているというのが正直な感想です」
学者から最高裁判事に登用された園部逸夫は、政治学者の御厨貴が編集した『オーラル・ヒストリー』のなかで、日本の裁判所は「エリートのレールに乗っている人と、乗っていない人が必ずいるわけで、エリートのレールに乗っていなかった人が、エリートのレールにスッと路線変更できるかと言うと、ほとんど難しいわけです」と述べている。
ここで言うエリートとは、司法試験の順位と、司法研修所の卒業試験の上位者であり、彼らの多くが事務総局入りするのである。
「ミスター司法行政」の異名を取った第11代最高裁長官の矢口洪一もまた語っている。
「率直に言って、事務総局には、いい人材を集めています。事務総局と、研修所の教官と、最高裁調査官、その三つは、いずれも一番いい人材を集めている。その功罪は問われるでしょう。
けれども、いい人材でないと、国会なんかはまだいいですが、大蔵省など行政官庁と折衝するときに、対等に折衝できないんです。裁判では、法服を着て、あそこへ座れば、当事者は言うことを聞くんです。
しかし事務担当として司法行政するにしても、法案を作る法制審議会の監事、あるいは監事の下請けをやるにしても、委員になるにしても、そういう後ろ盾はありません。
法務省との折衝、大蔵省との折衝、国会との折衝についても同様です。大体、そういうことができる人は裁判もできるのです」(『矢口洪一オーラル・ヒストリー』)
「大蔵省との折衝などの場合、『こいつはちゃんとやるな』とか、『ちょっと駄目だな』とかいうことが、すぐ全体に響いてきますからね。予算の説明でも、そのことによって予算が一千万円違ったら、やはり困るんです。
それで信用を得れば、知識が広くなり、見聞も広まって、ますますよくなっていきますからね」(前掲『矢口洪一』より)
「それによって、さらに自分自身をブラッシュアップする機会が増え、結果として成長し、最高裁判事にふさわしい実力を備えるようになると言えます。
しかし地方の裁判所で、種々雑多な裁判にまじめに取り組んでいる裁判官には、そのような機会は与えられない。これで腐らない人などいないわけで、矢口さんは裁判所の一体感を阻害し、現在にまで悪影響を及ぼしていると思います」(ある現職裁判官)
だからこそ、最高裁長官は、人が腐らない人事ローテーションに腐心しなければならないのだと、事務総局での勤務経験のある元裁判官は言う。
「スタート時点の成績が悪かったとしても、日々の仕事ぶりを正当に評価し、もうちょっと頑張れば、自分にも研鑽のチャンスが与えられるという人事をすべきなのに、一向にやろうとしない。
これこそが怠慢だと思うのですが、事務総局のエリートにはそれがわからないようですね」
最高裁が外部研修を本格的に取り入れたのは、約35年前、1982年のことだ。表向きの理由は、「余裕を持って社会情勢を見直す機会を与えるため、判事補から判事、裁判官から裁判長になる対象者を任地を離れて国内留学させる」というものだった。
しかし本当の狙いは、別のところにあった。
燻り続ける批判の根を絶つ目的で考えられたのが、裁判官の国内研修制度だった。有能な裁判官を新聞社に送り込み、新聞社の幹部連中を懐柔し、批判記事を書きにくくするとともに、裁判所には優れた人材がいるとのPRをおこなうのが、その真の目的だったのである。
この計画は、当時、最高裁事務総長だった矢口洪一によって立案されたもので、矢口は、参議院決算委員会でこう語っている。
「過日新聞にも一部報道されましたが、部外の機構に裁判官を研修に出しまして、社会教育といいますか、まあいまさら社会教育と言われるかもしれませんが、そういった外の世界を見る、そういうことによって自己修養に努めその結果を後輩裁判官にも及ぼしていくというような施策を講じてまいっておるのが現状でございます」(1982年10月7日付議事録)
矢口洪一は、新聞社からの高評価を聞くと、自身の思惑が的中したことにご満悦で、側近を前に「ああ、うまくいった、うまくいった」と破顔一笑したという。これこそが、矢口が得意とした行政手腕であった。
ある中堅裁判官は「事務総局に行く人は、基本的な能力が高いのは認めます。しかし法廷での実務経験が少ない。そういう人たちが、全国の裁判官に、あれこれ指示を出すことへの違和感は、払拭できない」という。
また、ベテランの高裁裁判長は、ため息とともにこう語った。
「本来、最高裁長官なり最高裁判事は、現場の裁判を一生懸命やってきた人の中から上げるのがいい、と僕は思う。
裁判するときの事件に向き合う姿勢だとか、弱い人の意見でも理由があれば吸い上げる。強い人の意見でも、理由がなければ応じない。そういうセンスは、司法行政部門では養えないからです」
実際、司法行政部門での勤務が、裁判官人生の8割近くを占めていた、ある最高裁判事の地裁裁判長時代の判決文は、判事補なみの稚拙な内容だったと、語り草になっているほどだ。
前出の矢口洪一も、司法行政部門で8割近くを過ごしているが、東京地裁の保全部にいた時、どのように法廷を指揮していいのかさっぱりわからないと、同僚裁判官にこぼしていた。
ただでさえ、最高裁は、行政官庁や学者出身など実務を知らない最高裁判事が半数近くを占めている。
検察庁や行政官庁から来る判事は、自身の出身母体での検事総長レースや次官レースに敗れた官僚が、一種の天下り先としてやってくるケースもある。
もともと裁判実務面での法的判断は期待されていないものの、この種の「天下り組」には、意欲という点で、疑問符がつく人も、中にはいるはずだ。
それだけに、裁判官出身の最高裁長官や同判事の「裁判実力」が問われるのだが、現在の6名を見ても、裁判部門での勤務期間が、司法行政部門より長いのは、菅野博之判事だけだ。
あとは司法行政部門での勤務の方が圧倒的に長く、少ない部類の戸倉三郎判事でも68%は司法行政部門である。また、最も長い寺田逸郎長官にいたっては78%が司法行政部門での勤務だ。
まして、「お友達人事」で、気心の知れた裁判官を引き上げるにあたっては、箔付のため、短期間、高裁長官にして、最高裁判事に任命するということまでしている。
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20170610#1497090984
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20170609#1497004465