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革新官僚 - Wikipedia

新官僚」は、1920年代に現れた疑似右翼的な官僚層を指して使われた語で、のちの新々官僚と区別し、新官僚を「革新官僚」とも呼ぶようになった。

モデルはソ連の計画経済であり、秘密裡にはマルクス主義が研究されていた。現に革新官僚たちはソ連の五カ年計画方式を導入した。革新的・社会主義的な立案を行ったため、「共産主義」として小林一三らの財界人や平沼騏一郎ら右翼勢力から強い反発を受け、1941年に企画院事件を生じた。


その特徴は、第一次世界大戦後のグローバルな政治・経済・社会の変化から強い刺激を受け、自分たちが「世界史的大変動」の中に位置しているというイメージで事態を理解しようとしたことにある。世界の構造を分析するための方法論としてマルクス主義から影響を受けた。

野口悠紀雄革新官僚が確立した「経済活動に対する政府の関与を強める」という考えは戦時経済体制の基本思想を「1940年体制」と呼んでいる。その体制は第二次世界大戦後も日本にほぼそのままの形で生き残り、不足する資源・資金を石炭、鉄鋼などの基幹産業に重点的に配分する傾斜生産方式によって戦後の復興や高度経済成長・石油ショックへの対応において大きな役割を果たしたと評価している。しかし、それは当時の世界経済と技術の条件が、1940年体制的な経済構造に有利に働いていたからだと説明する。1980年代後半のバブル経済は1980年代頃から中国の工業化・情報通信技術が発展など基本条件が変化で市場経済の有効性が高まったことにより、1940年経済体制の有効性が失われた条件変化にも関わらず、従来の経済体制を維持しようとしたことの結果であると解釈出来るとする。1990年代以降の日本経済の長期的停滞(スタグフレーション)の原因は大組織依存・政府依存という日本で未だに残っている「政府が経済成長を主導する」という考えのためであり、現代の世界では革新官僚の基本思想は既に時代遅れになっているとして日本政府に転換を勧めている。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20170628#1498645980深見東州
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20170623#1498214629小宮一慶
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