世界を切り取る、その世界観そのものが芸術というか作家の存在証明なわけですが、そんな話の入り口には一生到達もしない。そもそもまず手が動くかとか、そんなレヴェルのことは中学で済ませてきてよ、みたいのが最後まで終わらない。人まねができたらお上手 というレヴェルが標準。驚くべきことでした
— Ken ITO 伊東 乾 (@itokenstein) 2017年7月29日
国内でレッスン受けますよね。指が回るかな? くらいで終わるとしましょうか。音楽の中身はなにもない。で、国際コンクールとか受けに行って1次予選で戻ってくる。何もないから当然なわけですが、これが学術=学問でも芸術でもごく普通に蔓延してるでしょ?思想として学術が成立していない。
— Ken ITO 伊東 乾 (@itokenstein) 2017年7月29日
物理を技術というか小手先で役に立つものと思って見る人が本当に増えた。韓国・中国など東アジアは最初からそういうのが多い。日本は以前、まだ救われるケースがあったからノーベル賞なども出るわけですが:ランダウ流の物理とか、ファインマン流の物理、みな自然に対する個人の向き合い方、思想と実践
— Ken ITO 伊東 乾 (@itokenstein) 2017年7月29日
東大で芸術 は 標準的には無理でしょう。 皮肉なことですが、そんな東大に芸術以外の学力で入学した学生の中から、川端も安倍公房も、三島も太宰も、大江さんも三善さんも兜太さんも高畑さんもみんな出てるわけで つまり 関係なくやってくしかない ということですね
— Ken ITO 伊東 乾 (@itokenstein) 2017年7月29日
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20170729#1501324623
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20170729#1501324626
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