小学生に鶴亀算を教えるとき、さっさと一次方程式とか線形代数の構造を教えたほうが、中学生将棋名人みたいにスクスクと伸びると思うし、学部生に量子力学を教えるときもパウリ行列とか言うより、さっさとスピノルの代数構造とか教えてくれたら、もっと解り易かったのだろうにとか、今頃になっても思う
— Ken ITO 伊東 乾 (@itokenstein) 2017年6月22日
説明なんかしちゃだめなんだよ授業では。興味を持たせ、そのあとは本物に触れさせて放し飼いにする。自身で関心があれば自ら調べ自ら学ぶでしょ。そうでなければ縁がない。嘗ての武蔵中学校高等学校の授業は受験指導一切せず、教師も説明などミニマム、核心と、後は放し飼いの演習で基本構成されていた
— Ken ITO 伊東 乾 (@itokenstein) 2017年6月22日
自然言語を不用意に使うのが間違いでしょう。ファクトと、それを記述するもっともシンプルな論理骨格、端的には数理。それに好奇心があれば、あとは自分で論理を展開してゆけるようになる。創造的な数学者や理論物理学者は皆そうやって自分で伸びる。説明など時間の無駄、計算は自分でせねば無意味です
— Ken ITO 伊東 乾 (@itokenstein) 2017年6月22日
僕の講義は何かモノを持ってくでしょ? 先週はシタールとタンプーラ、今週ならガリレオ温度計と騒音計、来週はどうしようかな。何であれ、現象が面白いし、面白い現象を記述できる、というところから入ると方程式にリアルな関心をもってアクセス出来る。花崎という物理の教師から中2で教わった要諦。
— Ken ITO 伊東 乾 (@itokenstein) 2017年6月22日
つまらないと思いながら我慢してると、アタマが鈍磨してくるし、嫌いだと思いながら我慢していると、心が鈍感になってゆく。面白いと思う対象に、好きだと感じながら触れ合うから新しいものが作れるのであって、それ以外はほぼ退屈な時間潰しと思って大きく外れない。芸術や学問はこれなしに成立しない
— Ken ITO 伊東 乾 (@itokenstein) 2017年6月22日
18年前か、駒場1年必修アンケートで「教師というのは例題を板書で解り易く説明が仕事、解いたのと同じ傾向の問題を出題するから試験で答えられる。だのに、東大に入って教師がみなサボりで困る。ちゃんと説明してくれ」というのがあった。元気ならもう40近いと思うがどういう人生を送ったのかな?
— Ken ITO 伊東 乾 (@itokenstein) 2017年6月22日
偏微分方程式の講義ノートPDFhttps://t.co/PsVOgVAIf8
— 大学の物理学を独学しよう (@DaigakuButsuri) 2017年6月22日
物理や工学では偏微分方程式のオンパレードである。
ここにアレルギーがあると,理工系の勉強が必ずどこかでつっかえる。
マスターしなくてもいいから,パターンやセオリーを知っておこう。
共通しますね。教員として僕が重点を置いていることを挙げると「環境を整えること」「仕組みを作ること」「面白がること」です。教えないのが究極の教育。そのためにいかに僕が教えずに学生たち自身が自分で思考を進めて自らの解(快)を自ら生み出せるよう導くか。日々、工夫が楽しいです。 https://t.co/oxBcoVmucc
— 塩澤一洋, Kaz Shiozawa (@shiology) 2017年6月12日
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20160320#1458470836(「引いて発せず。(人に弓を教えるものは、ただ弓を引しぼる方法だけを教え、そのために矢を放たない。同様に人を教えるにも、学ぶものが自得するように導き、すべてを教え授けることをしない)。躍如(おどりあがるさま)たり」)
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20080509#1210293349(至言は言を去り、至為は為なし。)