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 曹洞宗の開祖である道元禅師は「遍界嘗て蔵さず」という言葉を残されています。これは元々、真理を求めてひたすらに修行を続ける禅僧に対して、「真理はあなたの目の前にある、なにも隠されてなどいない」ということを伝えようとした言葉ですが、独学についても同じことが言えます。


 学びの契機は「いま、ここ」で私たち自身に与えられている。そこからなんらかのインプットを汲み取れないのは、私たち自身の心のありように問題がある、ということです。

 米国のCIAやかつてのソ連KGB、あるいはイスラエルモサドといった諜報機関は、当然のことながら日常的に情報収集し、その分析から得られた示唆や洞察を外交や軍事に関する意思決定に用いているわけですが、実はこういった諜報機関が入手している情報のほとんどは、私たち一般人もアクセス可能な情報なのです。


 つまり、こういった諜報機関の優れている点は、インプットされる情報の量や質よりも、集めた情報から高度な洞察を得る能力、コンピューターでいうところのプロセッシングの能力にあるのです。

 宅急便の事業アイデアを生み出した小倉昌男氏は、米国視察の際にUPSの配送車が止まっているのを見て、事業アイデアの種を掴んだと言っていますし、トヨタ生産方式を生み出した大野耐一氏は、米国のスーパーマーケットの仕組みを視察して「ジャストインタイム」という思想を掴んでいます。


 今日でも、たとえばユニクロ柳井正氏やソフトバンク孫正義氏が、しばしば国外の動きから経営上のヒントを得ていることはよく知られています。

どうして君は他人の報告を信じるばかりで自分の眼で観察したり見たりしなかったのですか。


――ガリレオ・ガリレイ『天文対話』より

 ここで一点注意を促しておきたいのが、抽象化された定理は別に真実である必要はなく、仮説で構わないという点です。仮説というのは「××ではないか?」という「問い」として設定されるわけですが、このような「問い」が、さらにインプットの感度を高め、独学システムの生産性を高める大きな要因となります。


 この点については後ほど改めて触れますが、「問い」のないところに「学び」はありません。極論すれば、私たちは新しい「問い」を作るためにこそ独学しているわけで、独学の目的は新しい「知」を得るよりも、新しい「問い」を得るためだといってもいいほどです。


 さて、このようにして抽象化された仮説は、次に構造化によって、別の知識・情報と紐づけられることになります。

 そして最後に、このようにして抽象化・構造化された知識は、いつでもこれを引き出せるように、しかるべきファイリングシステムにストックしておく必要があります。なぜかというと、インプットされた情報のほとんどは、いずれ必ず忘れるからです。