週末が来るとホッとする。勉強よりも人間関係がしんどいと思う最近。人は無視して自分の勉強に集中できればいいけど、過度に考えてしまう。特に周囲にいる学生の子たちのことを放っておけなくて、彼らに何をどう伝えたらいいか悩む。自分がどんなに真剣に考えても理解はされないだろうと思いながら。
— choloatier (@choloatier) 2017年12月1日
同時に人のことは放っておいて自分の勉強に集中しなきゃとも思う。自分自身人のことを心配している場合ではない。勉強に対する温度差が精神的にきついけれど、最終的には人は関係ないのだと思うようになった。自分が何をしなきゃいけないか見えているのなら、人との比較や人の評価はほとんど無意味と。
— choloatier (@choloatier) 2017年12月1日
ほめられたり感謝されなくても「貢献している」という充実感を味わうためにはどうすればいいのか? - アルフレッド・アドラー100の言葉 https://t.co/S75FKS0tWQ
— ダイヤモンド・オンライン (@dol_editors) 2017年12月2日
共同体感覚を高めるためには「貢献感」を感じ、自己信頼を高めることが不可欠です。しかし、だからといって感謝されることや、ほめられる必要はありません。たとえ全員から無視されたとしても「貢献感」を感じることは可能なのです。
それは一種の自己満足です。「自分は正しいことをした。誰からも認められないが、誰かの役に立つことができた」。そのように自分一人で感じることが、最も正しい「貢献感」の感じ方なのです。相手からの感謝や評価がないと貢献感を感じることができないとしたならば、あなたは常に相手に依存していることになります。相手がほめてくれなかったら、相手に怒りを感じるでしょう。そして感謝を求めてしまうでしょう。それは、本物の貢献感ではありません。本物の貢献感は、相手に依存しない、自己満足でいいのです。
「人を相手にせず天を相手にせよ。天を相手にして己を尽くし、人をとがめず我が誠の足らざるを尋ぬべし」西郷隆盛の言葉です。人から認められることや感謝されることを求めずに天=人としての正しい道だけを見て行動しなさい、というメッセージはアドラーの教えに通ずるものがあります。また、儒教の古典『大学』の中には「慎独(しんどく)」という言葉があります。これもまた、人の目を気にせずに、誰も見ていなくても正しいことをし続ける、という意味です。幸福に通ずる道は東西共通なのだとわかります。
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20171108#1510137517
#家族主義#温情主義#奴隷思想