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新人4人の争いとなった新潟市長選挙は28日に投票が行われ、自民党が支持した元参議院議員中原八一氏が、「保守分裂」の中、野党5党が支援する候補らを破り、初めての当選を果たしました。

新潟市長選挙の結果です。

中原八一 (無所属・新) 当選、9万8975票
▽小柳聡 (無所属・新)9万902票
▽吉田孝志 (無所属・新)9万539票
▽飯野晋 (無所属・新)4万9425票。

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似てるよね?mshira1973.wordpress.com

 リクルート事件以降、「政治とカネ」の問題が相次ぎ、政治改革を求める世論が高まる中、細川護熙氏は1992(平成4)年、「既成政治・行政の打破」を掲げ日本新党を結成。翌93年の衆院選では新生党新党さきがけと「新党ブーム」を巻き起こし、8党派による連立政権で首相指名を受ける。

 -91年に知事を辞めて、新党結成、首相へと転身しました。

 「新党を起こして1年2カ月で首相になったわけで、何かを考えてやる余裕はない。ただ日本の閉塞[へいそく]感を打破するのは既存政党では難しいだろうと。まずは自民党の一党支配が38年間続いた日本におけるベルリンの壁を壊すことだった」

 -知事を辞めた時もその思いから?

 「いやいや、その時はそんなんじゃない。辞職後に臨時行政改革推進審議会の部会長となり、地方分権特例制度の答申を出した。それを(中央省庁に)反故[ほご]にされちゃったもんだから、新党を立ち上げて戦おうと決めた」

 「金権政治からの脱却も大きなテーマで、(政党交付金などを設ける)政治資金改革と、政権交代可能な選挙制度の二つを政治改革の柱にした」

 94年、衆院選小選挙区比例代表並立制を導入する政治改革関連法を成立させる。当時は小選挙区300、比例代表200。

 -必ずしも理想の改革ではなかったようですね。

 「私は穏やかな多党制を実現できる『中選挙区連記制』が望ましいと思っていたので、理想とは程遠いものだった。あの時の政府原案は小選挙区比例代表が同数の250ずつ。だが成立させるためには、より小選挙区を増やしたい自民党案で妥協するしかなかった。選挙次第で一方に一気に流れる懸念はあったが、あの時の政治状況で改革をチャラにはできなかった」

 細川内閣は94年4月に退陣。自民党は6月、社会党、さきがけとの連立政権で与党に復帰を果たす。その後15年間、小泉純一郎首相が仕掛けた「郵政選挙」で大勝するなど政権を守るが、2009年衆院選で、「官僚主導の打破」を掲げた民主党に再び政権を渡す。

 -細川政権選挙制度改革によって民主党政権が誕生したとも言えます。

 「結果として政権交代は起こったが、それには功罪がある。民主党の功の部分は『コンクリートから人へ』を掲げて教育、社会保障を重視するなど、自民党とは違うことを試みて一定の成果を挙げた。罪については政治主導を言い過ぎて、官僚機構を使いこなせなかった。それでは政治は動かない」

 -二大政党を目指し数を優先させたため、民主党には「寄り合い所帯」との批判がありました。

 「自民党に代わる固まりを作るため、社会党左派のような人から自民党より右の人まで無理にくっついた。(支持母体の)労働組合との関係もあり、意思統一しにくかったところが弊害として出た。民主党が失敗だったかといえば、必ずしもそうは思っていないが、(下野後に)政権の経験という財産も党名も捨て、分裂したのは大きな損失だ」

 12年、政権を取り戻した自民党。以来、2度の解散総選挙に勝利。安倍晋三首相は18年9月の自民党総裁選で3選を決め、「安倍1強」の長期政権を築く。

 -今の自民党政治をどうみていますか。

 「首相の力が強くなり過ぎ、党内が一色に染まっている。中選挙区時代は党内で活発な議論が行われ、リベラル的な勢力と右寄りの人たちが派閥同士で切磋琢磨[せっさたくま]していた。それが党のエネルギーになって、政権交代がなくてもどちらの流れに行くかで政治のバランスがとれていた」

 -県内でも衆参の選挙区で自民党が独り勝ち。この結果は選挙制度改革がもたらしたとの指摘があります。

 「制度を変えた結果ではある。改革は不十分なものだったから。しかし、民主党がきちんと政権運営をできなかったことに一番大きな問題がある。民主党に流れた時期もあったわけだから、必ずしも選挙制度ばかりが原因ではない」

 民主党から衣替えした民進党が17年の衆院選を前に分裂。立憲民主党や国民民主党などに分かれるも支持率は伸び悩む。

 「今の野党からは国民に分かりやすい“旗”が見えない。安全保障や原発問題、人口減少社会などテーマはいくらでもあるのに。日本新党では三大公約を掲げ、実現したら解党すると言って本当にそうした。タイムリミットを設けた“時限政党”は案外信頼を得られるかもしれない」