https://d1021.hatenadiary.com
http://d1021.hatenablog.com

海部元総理大臣は、昭和6年名古屋市に生まれ、早稲田大学に在学中は、多くの政治家を輩出してきた「雄弁会」に所属しました。

昭和35年衆議院選挙に、旧愛知3区から立候補して初当選し、平成21年の衆議院選挙で落選するまで、16回連続で当選しました。

この間、三木内閣で官房副長官を務めた後、福田内閣と第2次中曽根第2次改造内閣で2度、文部大臣を務めました。

平成元年の参議院選挙で、自民党が敗れ、当時の宇野総理大臣が退陣を表明すると、海部氏は自民党総裁選挙に立候補しました。

そして早稲田大学の先輩にあたる、竹下元総理大臣が率いる、当時の竹下派の支援などを得て当選し、第76代の総理大臣に就任し、初めての昭和生まれの総理大臣が誕生しました。

海部氏は、水玉模様のネクタイをトレードマークに、クリーンなイメージで国民の支持を集め、平成2年の衆議院選挙で自民党を勝利に導きました。

平成2年8月にイラク軍がクウェートに侵攻し、湾岸戦争に発展すると、海部政権は多国籍軍に総額130億ドルの資金を提供しました。

停戦後には海上自衛隊の掃海艇をペルシャ湾に派遣することを決断し、自衛隊は創設以来初めて、海外での任務に携わりました。

その後、海部氏は、政治改革に取り組み、小選挙区制度の導入を柱とする政治改革関連法案を国会に提出しましたが、中選挙区の維持を求める党内勢力の反発を受け、法案は廃案となり、海部氏は平成3年11月に退陣しました。

平成6年6月、海部氏は、政権から転落した自民党が、政権復帰に向けて、社会党新党さきがけと連立政権を発足させることで合意したことに強く反発し、当時の新生党小沢一郎氏らに、統一候補として擁立される形で、総理大臣指名選挙に臨みました。

しかし自民・社会・さきがけの3党が擁立した村山富市氏に敗れ、その後、平成6年12月に、小沢氏や羽田孜氏らとともに新進党を結成し、初代の党首に就任しました。

新進党の解党後は、自由党、保守党、保守新党でいずれも最高顧問を務め、平成15年11月に保守新党自民党に合流したのに伴って9年ぶりに自民党に復党し、平成17年の衆議院選挙で16回目の当選を果たしましたが平成21年の衆議院選挙ではやぶれ、政界を引退しました。

松野官房長官は、閣議のあとの記者会見で「海部元総理大臣は平成元年8月に内閣総理大臣に就任し、湾岸戦争勃発など、激動する国際情勢の中で、多くの政策課題に力を尽くして取り組まれた。国民の皆様とともに心から哀悼の意を表し、謹んでご冥福をお祈り申し上げる」と述べました。

自民党の安倍元総理大臣は、NHKの取材に対し「かつて自民党が大変厳しい状況にある時に総裁に就任され、選挙で勝利を得て、自民党政権を維持した大きな功績のある方であり、自衛隊国際貢献についても、初めて送り出すという決断をされた。改めて、心から功績をしのび、ご冥福をお祈りしたい」と述べました。

自民党の茂木幹事長は、NHKの取材に対し「海部氏は、早稲田大学の『雄弁会』に所属していた関係で、竹下・元総理大臣と非常に近い関係にあり、自民党総裁まで登り詰めた。とても演説がうまかった印象がある。また、国内で意見が分かれていた自衛隊の海外派遣や小選挙区制度の導入などの政治改革に先頭になって取り組んだ政治家だった。心からお悔やみを申し上げ、ご冥福をお祈りしたい」と述べました。

海部総理大臣の時代に、自民党の幹事長を務めた立憲民主党小沢一郎衆議院議員は、ツイッターに「日々、共に、難しい問題と格闘していた当時が思い出されます。先生は常に国民を第一に思いやる温かい心を持った偉大な政治家でした。雄弁でユーモアセンスも抜群で誰からも愛されました。いつもその人間性に魅了されていました。心からご冥福をお祈り申し上げます」と投稿しました。

自民党高村正彦前副総裁は、NHKの取材に対し「海部氏は、学生時代から雄弁家として『海部の前に海部なし、海部の後に海部なし』と言われるほどの人で、私も初めての選挙に出たとき、応援に来てくれて非常に助かった思い出がある。湾岸危機では法整備で苦労されたが、そのときの考え方が、その後のPKOや周辺事態法、平和安全法制にも大きな影響を与えることになった」と述べました。

山東参議院議長は、NHKの取材に対し「文教族の大先輩であり、海部内閣では科学技術庁長官を務めさせていただいた。その際に『僕は女性大臣をたくさん任命した』とおっしゃっていたのが心に残っている。雄弁でユーモアのある先生だった。水玉模様のネクタイがもう見られないと思うとさみしいかぎりだ」とコメントしています。

若宮万博担当大臣は、閣議のあとの記者会見で「民間企業で秘書をしていた平成元年ごろに、何度か海部元総理大臣とお目にかかることがあり、一緒に仕事をさせていただくこともあった。自衛隊の初めての海外派遣などさまざまな大きな課題を乗り越えられた方だと思う。お年を召されてからは、スポーツクラブで水泳をされているのを拝見したこともあった。大先輩であり、心よりご冥福をお祈り申し上げたい」と述べました。

内閣危機管理監は、大きな災害やテロなどの緊急事態が発生した際に総理大臣官邸に情報を集めて関係省庁を指揮するポストです。

政府は14日の閣議で、平成31年から3年近く務めた沖田芳樹氏が退任し、後任に村田隆 元警察庁警備局長を起用する人事を決めました。

村田氏は福岡県出身の60歳。

昭和59年に警察庁に入り、警視庁の刑事部長や大阪府警察本部の本部長、それに警察庁警備局長などを歴任し、平成31年からおよそ3年間、フィンランドの大使を務めました。

松野官房長官は、閣議のあとの記者会見で「村田氏は危機管理に関する豊富な知識と経験を有しており、適任であると総合的に判断した」と述べました。

この人事は14日付けで発令されます。

連合の芳野会長は、14日朝、総理大臣官邸を訪れて岸田総理大臣と会談し、およそ20分間にわたり意見を交わしました。

この中で芳野会長は、岸田総理大臣が今月5日に都内で開かれた連合の新年交歓会に、総理大臣としては2013年の当時の安倍総理大臣以来9年ぶりに出席したことへの謝意を伝えました。

そのうえで、ことしの春闘での賃上げについて「しっかりと実績を積み上げていきたい」と述べたのに対し、岸田総理大臣は「期待しているので頑張ってほしい」と応じたということです。

連合の会長が総理大臣官邸で総理大臣と会談するのは、会議への出席などを除けば、おととし11月に当時の神津会長が当時の菅総理大臣と会談して以来です。

国民民主党は、東京都の小池知事が特別顧問を務める地域政党都民ファーストの会」と夏の参議院選挙で候補者を一本化する方向で調整していて、党幹部は13日、記者団に対し、選挙前の合流も視野に連携の協議を進めていることを明らかにしました。

関係者によりますと、協議では、合流した場合の党名などについても話し合われているということです。

国民民主党は、今度の参議院選挙で7人が改選となり、党内からは、「合流が実現すれば、小池知事の知名度によって、比例票などの上積みが期待できる」といった声が出ています。

一方で、5年前の衆議院選挙で、当時の民進党が、小池知事が率いる希望の党との事実上の合流を決めたあと、結果的に分裂した経緯を踏まえ、「同じ過ちを繰り返さないため、事前のすり合わせを徹底すべきだ」という意見もあり、協議では、政策や理念などで事前にどこまでの一致を図るかが焦点となります。

d1021.hatenadiary.jp

#政界再編・二大政党制