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第280回 先例主義|塾長雑感

裁判とは、原告、被告双方の言い分を聞いて、その食い違う争点に対して裁判所が憲法、法律に基づいて判断するものです。ところが、これまでの一人一票実現訴訟において、裁判所は私たちが提起した争点に対してまったく応答してきませんでした。

私たちの主張は、この問題について、憲法14条1項で規定されている法の下の平等違反を訴えるものではなく、前文第1文前段、1条、56条2項が要求する主権者による多数決という統治論に基礎を置くものです。主権者国民の44.8%という少数が国会議員の過半数を選出することになるような選挙区割りは、国民が主権者であることを前提とする憲法の下では許されないと主張しているのです。それは昭和51年4月14日最高裁大法廷判決とはまったく異なる理論構成による違憲無効の主張です。

しかし、そのことをこれまで最高裁判事が全く理解していなかったことが昨年9月27日の大法廷弁論で明らかになりました。このとき久保利英明弁護士が「我々は憲法14条に基づく人権論ではなく統治論に基づき憲法違反を主張している」と述べたことに対して、寺田逸郎最高裁長官から「代理人らは、本件選挙が、憲法14条等の法の下の平等に違反しているから違憲、と主張しているのではないのですか?」と質問されたのです。このように最高裁弁論の場で、最高裁判事から代理人に質問がなされること自体、前代未聞のことだそうです。そして、その質問内容から、我々の主張を長官をはじめ全く理解していなかったことがわかり、率直にいって大きな衝撃でした。そこで11月28日に行われた最高裁弁論(昨年10月22日施行衆議院議員総選挙に関する選挙無効裁判)においては、我々はあくまでも統治論を主張しているのであり、それが採用できないのであれば、その理由をしっかりと述べてほしいと訴えてきました。

これまでのような憲法14条1項の法の下の平等論では、不合理な差別は許されないが、合理的区別は許されるという相対的平等の考え方から、結局、合憲性判断は合理性の有無という抽象的かつあいまいな判断に委ねられてしまいます。ですが、主権者国民による多数決で国政運営しなければならないという統治論からの人口比例選挙の要請であれば、主権者による多数決が機能しているか否かを判断すればよいだけであり、判断基準は極めて単純かつ明確なものとなります。そしてこの要請による人口比例選挙を歪める必要性があるのであれば、それを国民が納得できるように説明する責任は被告にあるのですから、裁判所はそれが被告によって証明されたか否かの判断をすればいいだけなのです。

こうした判断枠組みは極めて単純明快なものと思われるのですが、私たちがこうした主張をしていたことをなぜこれまで裁判所に理解してもらえなかったのでしょうか。それは裁判所の先例主義に1つの原因であるように思えてなりません。優秀な最高裁調査官も含めて、あくまで先例の枠の中で判断しようとする姿勢に原因があるのではないでしょうか。 もちろん、法的安定性や継続性も重要な価値であり考慮すべき要素ですが、私たちは、決して思い付きでこうした統治論を主張しているのではありません。9年にわたる裁判において確信をもって一貫して主張し続けているのです。