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フランスでは地球温暖化対策として、来月から燃料税が引き上げられることなどに抗議する大規模なデモが先月から断続的に行われ、1日にはパリでデモ隊の一部が暴徒化して治安部隊と激しく衝突する事態となり、130人以上がけがをし、400人以上が拘束されました。

G20サミットが開かれていたアルゼンチンから帰国したばかりのマクロン大統領は2日、落書きだらけとなった凱旋門や、粉々に割られた窓ガラスなどが今も残るパリ市内の現場を視察しました。

このあと、マクロン大統領は緊急の閣僚会合を開いて今後の対応を協議し、事態の収束に向けてフィリップ首相が3日から、各政党の代表やデモの関係者との話し合いを始めることになりました。

燃料税の引き上げに反対するデモが始まって2週間余りがたつ中、マクロン政権に対する批判は日に日に高まっていて、マクロン大統領は事態をどのように収束させられるか厳しい対応を迫られています。

https://d1021.hatenadiary.jp/entry/2018/12/02/200310(パリ抗議デモ 約300人拘束 暴徒化...車に放火)

 「右派でも左派でもない」と強調し、政治への信頼を回復すると叫んで2017年に就任したマクロン大統領は、3週間続けてパリで発生した数十万人規模のデモとその暴徒化によって窮地に立たされている。この背景にはビジネス志向の急速な経済改革への不満があり、これは結果的に右派と左派の連携を生んでいる。

 デモのきっかけは、燃料税の引き上げだった。マクロン大統領は地球温暖化対策としてエコカーの普及を目指しており、燃料税の引き上げはその一環だが、それまでの急激な改革(後述)に不満が募っていたなか、これが最後のひと押しになったのだ。

 この大規模なデモの最大の特徴は、特定の党派や集団によるものではなく、さまざまな立場の参加者が、生活への不満と反マクロンで一致して参集したところにある。

 デモ参加者には2017年選挙でマクロン氏に対抗した右派の支持者が目立つが、一方で左派系の労働組合関係者も少なくなく、極右政党から極左政党に至るまで幅広い野党もこのデモを公式に支持している。さらに参加者の多くは地方在住者で、このデモには「都市に対する地方の反乱」としての顔もある。

 この背景のもと、デモ参加者の多くは工事現場などで用いられる黄色の安全ベストを着用することで、「働く普通のフランス人の意志」を表現している。そのため、このデモはイエローベストと呼ばれる。

 右派と左派が垣根を超えて連携する大規模なデモを呼び起こしたマクロン氏の政権運営とは、どんなものだったか。一言で言えば、それは「ビジネス界向けの政権」といえる。

 シリア難民の流入やテロの頻発、さらにイギリスのEU離脱アメリカのトランプ政権に触発されて右派が台頭し、これに警戒感を強める左派との摩擦や衝突が深まるなか、「右派でも左派でもない」と強調して大統領となったマクロン氏は就任以来、アメリカ流の規制緩和や「小さな政府」路線に基づく改革を行ってきた。そこには雇用契約や農産物貿易の規制緩和や、公共サービス削減、主に富裕層向けの減税などがあげられる。

 フランスではもともと公的機関が経済にかかわる傾向が強く、GDPの50パーセント以上を公共セクターが占める(いま話題のルノーの最大の株主もフランス政府だ)。

 労働者の権利なども手厚く保護されてきたため、簡単にレイオフされない反面、これが経営者に新規採用を躊躇させ、失業率は慢性的に高い状況が続いてきた。また、安全保障上の観点から食糧とエネルギーの自給を重視してきたため、伝統的に農家への補助も手厚いが、これは財政赤字の一因にもなってきた。

 中道を自認するマクロン氏は、イデオロギー対立から距離を置き、ビジネスを活発化させることで停滞の打破を目指したのだが、これは一定の成果を収めてきた。海外直接投資(FDI)を含む投資が活発化してリーマンショック(2008)後の最高水準に近づき、好調な企業業績を背景に失業率も低下した。今年7月の段階の調査で、企業経営者の54パーセントがマクロン大統領の活動に「満足している」と回答し、65パーセントが「改革が進んでいる」と回答している。

 しかし、経済が成長した一方で物価も高騰し、給与の上昇は相殺された。また、若年層の失業率は高いままで、とりわけ外資流入で活気づく大都市と地方の格差も鮮明となった。

 そのうえ、実業家出身のマクロン氏のいかにもビジネスエリートらしい言動が目立ったことも、広く反感を招いた。

 例えば、「駅は面白いところだ」といい、その理由として「成功した者と何でもない者に会えるから」(前者は彼自身のようなビジネスエリートを指し、後者はほとんどの一般の人を指すとみてよいだろう)。また、就職活動に苦労している若者に対しては、「どこでも働き口はあるはずだ」と言ったうえで「私なら、あの通りを渡るだけで、きっと君に仕事を見つけてやれる」。

 こうした発言は、マクロン氏の経歴からすれば正論かもしれない。しかし、いかなる意見も各自の立場から出るもので、誰もが認める正論などというものはない。

 フランスでは革命後の1830年、当時新興勢力だった資本家(ブルジョワジー)に支えられてルイ・フィリップが国王に即位し、王政が復活(七月王政)したが、そのもとでは資本家の利益が国策となった反面、一般の人々の生活が顧みられることはなかった。社会学の元祖とも呼ばれる当時の政治哲学者アレクシ・ド・トクヴィルは、「ブルジョワジーの王」のもとで国家が「株主に利潤を配当する産業会社」に等しくなったと指摘している。

 結局、ルイ・フィリップは1848年、都市住民や農民の幅広い抵抗によって退位せざるを得なくなった(二月革命)が、親ビジネス派としてのマクロン改革が右派と左派の垣根を超えたイエローベストのデモを引き起こしたことは、これを想起させる。

 フランスの著名な政治学者でパリ政治研究所のジェローム・セント・マリー博士は、右派と左派が連携するイエローベストの運動を、政治的な分断を超えた社会的な再統一の動きと評価する。だとすれば、マクロン大統領とは別の意味でイエローベストも「右派でも左派でもない」ことになる。

 「ブルジョワジーの王」を二月革命で打ち倒した各勢力は、その後内部分裂に陥り、この混乱が結局クーデタで権力を握った皇帝ナポレオン3世の登場を促した。最近でいえば、2011年の「アラブの春」の最中、エジプトでイスラーム主義者やリベラル派の連合デモ隊が同国を30年に渡って支配したムバラク大統領を失脚に追い込んだ後、内部抗争が激化し、結局は軍のクーデタによって混乱が収束した。

https://d1021.hatenadiary.jp/entry/2018/12/02/200537(右翼の元祖のようにいわれる頭山満と、左翼の家元のようにいわれる中江兆民が、個人的には実に深い親交を結んだことをご存じですか。一つの思想、根源を極めると、立場を越えて響き合うものが生まれるんです。中途半端で、ああだ、こうだと言っている人間に限って、人を排除したり、自分たちだけでちんまりと固まったりする)
https://d1021.hatenadiary.jp/entry/2018/12/02/200535西南戦争は、単に反動派士族の抵抗とみられがちですが、民主的権利の拡大要求を掲げる諸隊の参加からして、ある種の「革新」性を帯びていたとの評価があります。)