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5月11日の7回目の予備会談では、岸の驚くべき構想が披露されている。
衆議院議員の総選挙は、いずれ遠からずやらねばならない。参議院議員の半数の選挙は2年後に行われる。これらの選挙には、自分としては、安保条約を改正し、南方諸島(沖縄、小笠原諸島)の問題を解決した上で臨みたい。そうすれば両院とも憲法改正に必要な3分の2の多数を獲得できるであろう。そうしてこそ初めて自分の年来の主張である憲法改正を具体的に日程に上らせることができる」

さらに、訪米に向けた別の準備書類では、憲法改正の時期について、5年後をメドにするとして、「その間に、本格的な相互防衛条約に切り替えるための体制を整えることができるだろう」と記している。

当時のニュース映像を見ると、岸はなぜかアメリカの大統領専用機から降り立つ。

実は、アメリカの国内移動に大統領専用機が貸与されていたのだ。国賓としての厚遇ぶりがうかがえる。ちなみに、一行の名簿には、秘書官だった安倍晋太郎氏や衆議院議員だった福田赳夫氏の名前も登場する。

そして6月19日、満を持して岸はワシントンに降り立つ。

ホワイトハウスで行われたアイゼンハワー大統領との会談で「日米新時代」を打ち出し、旧安保条約の問題点を検討する政府間の委員会を設置することで合意。

岸は、安保改定に道筋を付けることに成功する。

一方、今回の記録で明らかになったのは「対等なパートナー」とはほど遠い、アメリカ側の強硬な態度だ。相手はジョン・フォスター・ダレス国務長官である。

アイゼンハワー大統領とは「儀礼的な」会談を行った一方、岸はダレス国務長官と2日間で5回、あわせて9時間15分にもわたって実質的な会談を行っている。

6月20日 国務省5階会議室で始まった、岸とダレスとの会談、ダレスは開口一番、1人の同席者を紹介する。

アメリカ軍の制服組トップ、ラドフォード統合参謀本部議長だ。

海軍で「最強の提督」とも呼ばれたラドフォードは、西側諸国と東側諸国の軍事力の分析を披露した上で、こう言い放つ。
「今米軍がひいたら日本は重大な危険にさらされるであろう。われわれは、米軍の駐屯を希望しない国からはいつでも撤退する用意がある」

そして、ラドフォードは日本の防衛政策に踏み込む。
アメリカの阻止力の傘の下で与国(同盟国)は安全を享受している。将来のことを考えると地方的な防衛については、もっと多くの責任をそれぞれの与国に負担してもらわなければならない」

岸は、訪米直前に第1次防衛力整備計画、いわゆる「1次防」を閣議決定し、防衛力の増強に取り組んでいると説明するが、ダレスはこう迫る。

「米国側においては国民総生産の11%が防衛経費にあてられており、ヨーロッパのNATO諸国においても8~9%をあてている状況であるのに、日本はわれわれの計算によれば、わずかに2%をあてているに過ぎない。防衛力漸増の話を伺ったが、それにしても日本側の努力がもっと真剣になることを希望する」

そして専門家が「今回の外交文書で最大の発見」と指摘するのが、ラドフォードの次のような要求だ。
「新兵器に関する情報の交換については、日本には秘密保護法ができていないので、これ以上の情報の供与はできない。日本における兵器研究をこの上進めるには、是非とも新立法が必要である」

戦後の自民党政権が、その後何度か制定を模索する秘密保護法制の整備をこの時に求めていたのだ。

これに対し、岸はこう応じた。
「大体了解した。科学的研究は是非やらねばならぬし、米国の援助も得たい。秘密保護法についてはいずれ立法措置を講じたいと思っている」

訪米の翌年。1958年5月の総選挙で、岸が率いる自民党は、467議席のうち、無所属での当選者を加えて298議席を獲得し勝利するが、憲法改正に必要な3分の2の獲得はならなかった。

そして、その年の8月、日米両政府は旧安保条約の全面改定で合意。当局間の交渉は開始したものの、国内で安保改定への反対運動は激しさを増していく。

1960年1月19日再訪米した岸はアイゼンハワー大統領との間で新安保条約に調印。しかし、国会は条約の承認をめぐり紛糾。5月20日衆議院採決に踏み切るも反対運動は拡大を続け、6月19日の条約の自然承認を前に、国会は30万人とも言われたデモ隊に取り囲まれた。

さらに自民党内からも岸の強硬な姿勢への批判が相次ぎ、数日後、岸は退陣を表明する。

岸は任期中、アメリカとの会談で言及した秘密保護法にあたる「防諜法」の検討を進めたほか、憲法改正にも意欲を持ち続けたが、その政治生命は、安保改定で使い果たされた。

墓前に2回目の総理大臣就任を報告した安倍総裁は、記者団に対し、「祖父は、日米同盟で新しい時代を迎えようという信念で、日米安全保障条約の改定を行った。わたしも祖父と同じ信念と決断力で、長州出身の政治家として恥じない結果を出していきたい」と総理大臣就任を目前にした抱負を語った。

そして、翌2013年には、安倍総理大臣のもと「特定秘密保護法」が成立する。

成立から5年を迎えた今月、菅官房長官は記者会見で「法律によって、北朝鮮のミサイルの動向に関してもアメリカなどから非常に機微にわたる情報が得られ、それを踏まえて情報収集や警戒監視に万全を期すことができた」と胸を張った。

さらに安倍総理大臣は「2020年を新しい憲法が施行される年にしたい」と、憲法改正への意欲を燃やし続けている。

秘密保護法制や憲法改正、それに、トランプ大統領との強固な日米関係の構築など、あたかも祖父・岸信介の志を継いで取り組みを進めるかのような安倍総理大臣。自民党総裁3選を果たし、12月26日で第2次政権発足から6年を迎える。

https://d1021.hatenadiary.jp/entry/2018/12/25/200130(「明治の政変から敗戦をへてようやく実現した国民主権の戦後体制が、長州出身の首相ら明治国家を懐かしむ勢力によってむしばまれようとしている。戦後体制に問題があったとしても、明治には戻るべきではない」と西原春夫早大名誉教授)

この中で菅官房長官は「来年7月から商業捕鯨を再開することとし、国際捕鯨取締条約から脱退することを決定した」と述べ、来年7月からの商業捕鯨の再開に向けてIWCから脱退することを表明しました。

その理由について「持続可能な商業捕鯨の実施を目指して30年以上にわたり、解決策を模索してきた。しかしながら、鯨資源の保護のみ重視する国々からの歩み寄りは見られず、ことし9月のIWC総会で鯨資源の持続的利用の立場と保護の立場の共存が不可能であることが改めて明らかになり、今回の決断に至った」と述べました。

また、菅官房長官国際捕鯨取締条約で、来月1日までにIWCからの脱退を、取りまとめ役のアメリカ政府に通告すれば、来年6月30日に脱退できるとされていることを踏まえ、年内に、外交ルートを通じて、アメリカ政府に通告する考えを示しました。

そして、脱退の効力が発生する来年7月から再開する商業捕鯨について、日本の領海とEEZ排他的経済水域に限定し南極海や南半球では行わないとしたうえで、国際法に従いIWCで採択された方式により算出される捕獲枠の範囲内で行うとしています。

さらに菅官房長官は、脱退は25日の閣議で決定したとしたうえで、発表が26日になった理由について「脱退にかかる関係国との調整を含め、諸般の事情を総合的に判断した結果だ」と説明しました。

また、菅官房長官は記者団が「IWCとは別に新たな国際的な枠組みづくりを目指すつもりか」と質問したのに対し「将来的には新たな国際的な枠組み作りも検討していきたい。毎年、鯨の持続的利用という立場を共有する国々との会合を開催しており、これらの場を通じて関係強化を図っていきたい」と述べました。

大阪市を4つの特別区に再編するいわゆる「大阪都構想」をめぐり大阪府の松井知事と大阪市の吉村市長は、来年の4月下旬までに、構想の設計図となる協定書を取りまとめたうえで、来年夏の参議院選挙と同じ日に住民投票を実施したい考えで、府議会と市議会で過半数の支持を得るため、公明党に協力を求めてきました。

これに対し、公明党大阪府本部の佐藤代表は25日、松井知事らが求めている参議院選挙と同じ日に住民投票を行うことに否定的な考えを示しました。

また、松井知事らが公明党大阪府本部の幹部との間で、今の大阪府議会議員と大阪市議会議員の任期中に住民投票を行うという約束を文書で交わしたと主張しているのに対し、公明党側は「真摯(しんし)に議論を続けており約束をほごにしたと言われていることは、全くあたらない」と反論するなど、対立が深まっています。

こうした状況を受け、松井知事と吉村市長は選挙で民意を問いたいとして、来年、そろって辞職し、来年4月の統一地方選挙に合わせて行う知事選挙と市長選挙に改めて立候補する意向を固めました。

https://d1021.hatenadiary.jp/entry/2018/12/25/200210(「大阪都構想住民投票に向け 知事・市長 辞職して選挙も)