もし真理というものが存在するとして、人間がそれを知りえるとしても、そこに到達する道は必ず人を介したものであり、出会いという偶然によって左右されるものだし、多くの思想や宗教のある中で勉強したいと思うものは自分の好みで決まってしまう、偶然と好みに支配されたものを真理というのはおかしい
— choloatier (@choloatier) 2018年2月15日
それを判断できないと真理に到達できない。
例えば、なぜか吉本隆明やよしもとばなな、村上春樹などを読んでいたとして、指摘されても直せない。
普通の人は皆そう。
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20180215#1518691289(私はずっと桂春蝶(しゅんちょう)さんが好きです。)
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20180215#1518691287(格物致知)
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20120801#1343829545(「自灯明、法灯明。」) 👉シンギュラリティー
自己の裡に神性が宿っているということを認識している人は、この世界にどれほど存在するのでしょうか。おそらく大多数の人間は、そのことについて全く無知であることでしょう。
そして自己の内奥に神性を宿すということを知らない自分を絶対的な主体と思い誤り、そのような無知な自分を生きる上での拠りどころとすると考える人々もいることだろうと思います。
<自灯明・法灯明>という教えの真実の意味は、「すべての人間が自己の裡の神性を拠りどころとし、理法を拠りどころとして、真実の自己以外の何ものにも頼ってはならない」ということです。
#基礎付け主義
色々とファイルや資料の整理をしていると,今年の司法試験で上位合格された方は,「書き直したほうがよい」というアドバイスをした答案には漏れなく書き直し答案を提出していました。そういう弱点を放置しない姿勢が好結果に繋がったのだと推測されます。
— 安田貴行@オンラインロースクール (@y_takayuki515) 2018年2月16日
The message of Jesus is troubling and disturbs us because it challenges worldly religious power and stirs consciences.
— Pope Francis (@Pontifex) 2018年2月16日