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法務省:平成24年司法試験予備試験問題

一般教養科目 [PDF:80KB]

法務省:平成24年司法試験予備試験の結果について

論文式試験出題の趣旨 [PDF:484KB]

(出題趣旨)
設問1は,[B]の筆者が,文化事象が主として価値理念によって決定される点に着目していることについての理解を問うている。社会科学が,自然科学とは異なり,観察者(研究者)の価値観に拘束される特質を持つとの主張を理解した上で,価値拘束性を示す適切な具体例を挙げることが求められる。設問2では,[A]で示されている,社会科学においても対象となる事象を客観的に取り扱うことができるという立場から,その理由と意義を説得的に論証する能力が問われている。理由の論証に際しては,[B]の下線部を理解した上で,社会科学においても価値理念の拘束から自由になり得ることの論述が求められる。

日本経済学会75年史 | 有斐閣

戦前に創設された日本経済学会。75年に及ぶ学会の歩みを貴重な資料と膨大なデータから丹念にたどりつつ,日本の経済学発展の軌跡を描き出すとともに,現在の経済学はどこに向かっていくのか,最前線の理論・実証研究と学史的考察から展望する。

第5弾 - 辰已法律研究所

〔設問1〕
まず「文化事象を「客観的」に取り扱うことには意味がない」を[B]の文章の言葉で説明する,部分要約が求められている。つまり,文化事象が「人間」という,いわば「個別的」な主観・主体者の「価値理念」によって決定されているということを文章中のことばでまとめることが第一段階。続いて,その具体例を自分で出すことを求められている。アイディア発想としては,「文化」と一口にいっても,さまざまな貌をもつことに注目する。例えば,言語文化・服飾文化・食文化・儀礼の文化・埋葬の文化・住まい方の文化などがある。では,それら文化の諸相の内どれなら自分はうまく語れるか,説得的に語れそうかシミュレートする。
〔設問2〕
まず[A]で示唆されている「科学観」の内容をまとめる必要がある。すなわち,「確かに正しいと断言でき,しかも自明でない命題」が社会科学にもあるという見解である。例としては,サミュエルソンの「比較優位の原理」がそれに該当する。次に,この立場から〔B〕の傍線部に反論を加えることが求められている。つまり,社会科学においても「文化事象」を「客観的」に取り扱うこと(経験的なものから法則を導くこと)には意味があるとする「立論」をなす。この「立論」という表現から出題者側のメッセージを読み取ることができる。すなわち,受験者自身の考え方がつきつめればどういうものかは問わず,あえて一定の条件下で明快な提言をなす力を問うということであろう。これは知的な議論に活発に参与する力と呼ぶこともできる。
アイディア発想としては,政治学・経済学・経営学社会学など任意の社会科学から,経験的に(データ収集して)法則を導き,「客観的」に文化事象・社会現象を語れる例を出せるとよい。自分で発想する以外に,[A]で言及されながらも詳しい説明の無かった「比較優位の原理」の内容を語ってもよいし,「経済理論の数理的モデル」の他の例を挙げることもできる(この分野での教養があれば)。

比較優位 - Wikipedia

ポール・サミュエルソンは、比較優位を「弁護士と秘書」の例で以下のように説明している。


有能な弁護士Aは、弁護士の仕事だけでなく、タイプを打つ仕事も得意だったとする。秘書は、弁護士・タイプの仕事において、弁護士Aより不得意である。更に、秘書はタイプはそこそこできるが弁護士の仕事はほとんどできない。しかし相対的な比較として各自の弁護士の仕事の能力を基準にすれば、秘書のタイピング能力は弁護士Aより優位であると見ることができる。このような場合、弁護士Aは弁護士の仕事に特化し、秘書にタイプの仕事を任せる。それが、弁護士・タイプの仕事が最も効率よくできるからである。


弁護士がタイプを打つと、弁護士報酬という機会費用を捨てることになる。弁護士がタイプを打つのは、恐ろしい機会費用がかかっていることになる。 秘書がタイプを打っても、機会費用は驚くほど低い。

「比較優位」の考え方では、すべての面で能力に劣る人でも仕事に貢献できる(1/3ページ):nikkei BPnet 〈日経BPネット〉

ポール・サミュエルソンは、比較優位について「経済学はこれ以上含蓄のある発見をほとんどしていない」とまで言っている。

==保護貿易と自由貿易について== - 南北戦争は、南北の貿易につ... - Yahoo!知恵袋

#比較優位説 はどんな時代のどんな国にも成立する普遍的な法則か? - Togetter

しかし現実はそうなってはいません。
大英帝国との自由貿易を強いられ発展を阻害された国々。
かたや南北戦争で英国との自由貿易を拒否して英国を追い抜いた米国。
EUという無関税同盟で勝ち組と負け組にハッキリ明暗が分かれたドイツとPIIGS諸国。

自由貿易推進論者の犯罪
1.「合成の誤謬」を知らないために、ミクロで成立すること(個人レベルでの分業)がマクロ(国家レベルでの分業)でも常に成立すると強弁している
2.比較優位説は需要とのバランスを無視して生産量だけに着目している、したがって自由貿易を追求すればするほど限りある需要を奪い合う過激な競争を招いて結果的に失業が増えることを無視している
3.生産量に比例して雇用が増えるとは限らないことを無視している
4.自由貿易によって失業した生産者・労働者に対する配慮が全くない、再就職のコストや失業期間、破産による自殺、所得の低下や職業選択の自由の喪失による精神的損害を無視している
5.食料安全保障、食糧危機、農業の環境保全機能などを無視している

比較優位説は、ある特定の条件の下においてのみにしか成立しないということである。その条件とは。
1.ダイナミックな経済変動を考慮に入れず、静学的であること。
2.多くつくればつくるほど生産性が向上するという、収穫逓増ではないこと。
3.外部経済、外部不経済が存在しない、つまり公害や産業の地域開発効果、あるいは後進国の国民が、先進国の国民のマネをするというような、いわゆるデモンストレーション効果が意味を有しないこと。
この3つである。
以上、小室直樹『国民のための経済原論?』p.188より


ヘクシャー・オリーン・サムエルソンの定理は比較優位を生み、比較優位は自由貿易を生む。自由貿易でみんなが利益を得る(よりよくなる)。自由貿易バンザーイっていうイデオロギーもあやしんじゃないかしらん。自由貿易がベストとも断言できないのでは。まさしくそのとおり。
一見論理的に無謬と思われた比較優位説、無条件で成立すると思われたヘクシャー・オリーン・サムエルソンの定理は、自由貿易の最良の経済システムではなかったのである。したがって、ある国が自由貿易を行うことによって、必ずしもその前より良くなるとは限らないのである。(中略)
一九世紀の大英帝国、二十世紀の米帝国。
いずれも、「特定の条件の下においてのみ成立する比較優位説」を、あたかも公理のごとく振りかざすことで、不利益を被る国にも利益が得られるごとき錯覚を抱かせていたのである。
詐欺師のごとく。はたまたどこかの新興宗教のごとく。
しかも、更に大事なこと。
保護貿易は、有意義である。
このことの重大性、推して知るべし。
以上、同書p.192より

ヘクシャー=オリーンの定理 - Wikipedia

ヘクシャー=オリーン=サミュエルソンの理論は、新古典派国際貿易論の標準的理論となっているが、クルーグマン=オブストフェルトほかに批判されているように、現実との整合性に乏しいほか、理論上・実証上、多くの問題点がある。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20180225#1519555491(「自灯明、法灯明。」)

ソクラテス太郎より、アテナイ人じゃなくて日本人諸君へ 「需要を奪い合う自由競争」を捨象した比較優位説の世界は、実は共産主義と同じ

社会科学と社会政策にかかわる認識の「客観性」 (岩波文庫) | マックス ヴェーバー, Max Weber, 富永 祐治, 折原 浩, 立野 保男 |本 | 通販 | Amazon

ヴェーバー『社会科学と社会政策にかかわる認識の「客観性」』を解読する(1) | Philosophy Guides

ヴェーバー『社会科学と社会政策にかかわる認識の「客観性」』を解読する(2) | Philosophy Guides

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20171217#1513507655