「山一證券」破綻 公開されなかった“最終報告書”に消えた戦犯https://t.co/0GXlkrO3It
— デイリー新潮 (@dailyshincho) 2019年1月7日
東京湾にほど近い8階建てのビル、そこには、かつて山一證券の「ギョウカン(業務監理本部)」という組織が置かれていた。社内ではエリート部署ではなかったが、ある日を境に重要な役割を担うことになる
「社員は悪くありませんから!」
野澤正平社長が涙の会見を開いたのは、1997年(平成9年)11月のこと。2600億円もの簿外債務が発覚した山一が、この日、自主廃業に追い込まれたのだ。7700人の社員は散りぢりになり、残された者も「後始末」に奔走した。
「まず、ファクトが大事ですから、何が行われたのか社内調査報告書を作成したのです。元会長の横田良男氏や、行平次雄氏、三木淳夫元社長らの関与も名指しで書いてあるため、会社側は抵抗しましたが、押し切って公表したのです」
そこには損失隠しのスキームを描いた“飛ばしマップ”や、どうやって債務をペーパー会社へ移したかなども詳細に記されている。
「ファクトが分かれば、次は誰にどんな法的責任を取らせるべきか、はっきりさせなければならない。そこで『法的責任判定委員会』を立ち上げ、さらなる調査を始めたのです」(同)
その結果、作られたのが98年6月の「第1次報告書」(13ページ)、そして同10月の「最終報告書」(130ページ)である。
ところが、公表の段階になってストップがかかる。国広弁護士らは公表を迫ったが、野澤社長にとって、先輩を法廷に引きずり出すのは忍びなかったのかも知れない。結局、二つの報告書は握りつぶされてしまう。後に朝日新聞が「第1次報告書」をスクープし、役員ら10人の法的責任について言及されていることが明らかになるが、重要なのは最終報告書だ。
『しんがり 山一證券 最後の12人』(講談社+α文庫)の著者でノンフィクション作家の清武英利氏によると、
「最終報告書には役員だけでなく簿外債務に関わった幹部社員らの実名や役割が詳細に記されています。そこから分かるのは、一握りの経営陣だけではなく、数十、数百という幹部が不正を共有し出世していた組織犯罪の実態でした。いわば“背信の階段”です。最後の経営陣が最終報告書を封印したのは、彼らもこの背信の旧経営陣によって引き立てられたからで、不正に蓋する日本的な構造を最期まで抱え込んでいたのだと思います」
自主廃業から21年、山一破綻の「戦犯リスト」は、いまだに封印されたままだ。